従二位家隆
風そよぐ 楢の小川の 夕暮は 御禊ぞ夏の しるしなりける
本名は藤原家隆。
家は藤原北家の中でも利基流というマイナーな家計で、歴史上重要な人物は輩出していないが、紫式部はこの家系。
また、家隆の父・光隆は『平家物語』に登場しており、源義仲が京を支配していたころ、光隆が彼のもとを訪れた際にだされた食事の粗末さに閉口するというエピソードがある。
家隆自身は当時において、定家と並び称されるほどの歌人で、作った歌も6万首にのぼるといわれている。
出家後の住居である夕陽庵は現在の大阪市天王寺区夕陽丘にその名を残している。
風そよぐ 楢の小川の 夕暮は 御禊ぞ夏の しるしなりける
本名は藤原家隆。
家は藤原北家の中でも利基流というマイナーな家計で、歴史上重要な人物は輩出していないが、紫式部はこの家系。
また、家隆の父・光隆は『平家物語』に登場しており、源義仲が京を支配していたころ、光隆が彼のもとを訪れた際にだされた食事の粗末さに閉口するというエピソードがある。
家隆自身は当時において、定家と並び称されるほどの歌人で、作った歌も6万首にのぼるといわれている。
出家後の住居である夕陽庵は現在の大阪市天王寺区夕陽丘にその名を残している。