円筒形の黒い木製蓄音機 | ぎやまん亭主のブログ

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シンガーソングドランカーです(^o^);
ふぉーっふぉっふぉっふぉっふぉ(^o^);

 

その昔、わしが幼少だった頃、おもちゃ入れに使っていたのが、木製の蓄音機だった。
これは木の胴を抜いてスピーカーにしてある構造で、火鉢の様に丸い円筒形で、木に黒い塗料を塗ってあって、戦車のハッチみたいな丸い蓋が付いていて、開けるとターンテーブルと針があった。
どっかに手回し式のハンドルもあったのかもしれないけれど、わしのおもちゃ箱になった時点で、蓄音機の役目は終わっていたのだ。
これが懐かしくて似たような蓄音機の画像を探したけれど、見つからない。ほとんどが四角いので、ラッパの様なホーン(まあスピーカーだな)が付いたものしか見つからなかった。

わしのお袋の妹の一人が、進駐軍の海軍の楽隊の一員と結婚した。その人はコルネット吹きだった様だけど、この叔父さんは当然アメリカ人だけど、実家がシカゴから2時間くらい車でフリーウエイを走った先の州にあって、一回行ったことがあるけれど、州の名前は忘れた。
墓参りしておじいさんに刻みたばこを貰ったことがある。一緒に連れて行った犬、スモーキーが、この実家の椅子に小便をして回ったのが笑ったが、出て来たディナーのステーキが分厚いゴムのサンダルみたいで、半分も食えなかったのに、マッシュポテトの大盛りをよこされて閉口したな。
わしは二十歳くらいだったけれど、一言おじさんの弟に、『日本人は食わないな!』と言われた。おじさん自体は癌で早く亡くなったので、その墓参りに立ち寄っただけなんだけど、漏れなくディナーはどこでも付いてくる。
悪いけど、ステーキはもううんざりしてんだよね(^o^;)
ゴム草履は見たくなくなった記憶がある。

まあ、その軍楽隊のアンクルが、わしのじいさんとばあさんに置き土産に置いて行ったのがその蓄音機だと思う。軍楽隊のおじさんは78回転のレコードも何枚か置いて行ったが、覚えてるのはサッチモ(ルイ・アームストロング)だけかな、何しろこっちは4歳くらいだったからね。
で、元浪曲師のじいさんが78回転でレコードを聴いていた、ある日蓄音機に寿命がきて、わしのおもちゃ箱になったんだと思う。針もターンテーブルもなくなった蓄音機は、細かいおもちゃの巣窟になってたけれど、スピーカーの穴だけは活用出来なかった。なんで、胴にこんな変な穴が空いてるのかも理解してなかったけれどね(^o^;)

厚木基地(アメリカ海軍のネイビーベース)が近いので、そこに親戚が居たから、よく英語で話しをした。無論幼児英語だ。で、小学校1年くらいの時に言葉で悩んだ。幼少の頃に覚えた英語だから耳英語だ。故に日本語と英語の区別が出来てない。
一つの例として、カメラって発音できなかった。キャメラって言ってしまう。で、その癖は長らく治らなかったので、バカにされるから、『写真機』と言う様になった。小学校の頃は写真機と言ってもそれほどバカにされなかったけれど、大きくなるに連れ、バカにされる様になった。しかし、四十を過ぎた頃からは、逆にギャグの様に笑われるの面白くて、直さなかった。だから今でもつい、カメラとは言わず『写真機』と言ってしまう。まあ、これは一例で、若い頃は酔っ払うと英語になっていたこともある。でも文法は酷かった様で、ロンドン子にはよく指摘され直されたけど、アメリカ人はなんも言わなかった。まあ、わしは日本人だから、英語なんてたいして覚えてないのだ。日常生活に使えれば不便がないわけで、お陰でニュースの英語は全然わからないけれど、カーツーンやアメコミの英語はよく分かる(^o^;)まあ、俗語もある程度は(^o^;)
でも、新聞の社説に載ってる英語は皆目わからない。だって、知らない単語しか書いてないんだから!ふぉーっふぉっふぉっふぉ(^o^;)

いんやあ、そんな話じゃなかったなあ、蓄音機の話だったの!(^o^;)
そんなことを思い出したのは、「A列車で行こう」とか「ムーンライトセレナーデ」とか「茶色の小瓶」とか「インザムード」とか、ビッグバンドのスイングジャズを聴いてたからかもしれない。

ふぉーっふぉっふぉっふぉ(^o^;)
 

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