青春のアルバイト 国鉄の周遊券 | ぎやまん亭主のブログ

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シンガーソングドランカーです(^o^);
ふぉーっふぉっふぉっふぉっふぉ(^o^);

16歳の高校生の時にアルバイトをした時に、時給が320円だった。それは昭和48年頃の話。最初はイトーヨーカドーの商品整理をした。小売り品に値札を貼って並べるやつね。夕方から夜にかけてそのバイトをしていると、一年上の先輩達が、ビルメンテ会社のバイトで、夜8時から床掃除にやってくる。当時閉店時間が夜8時だったので、それから掃除する訳だ。商品整理は9時過ぎまでやってるから、そこで顔を会わす訳だ。むこうはおっさんのボスと近所のおばさんパートと悠々とやってきて、掃除機やモップで仕事する。丁度中学のサッカー部の連中が多くて、顔馴染みだからよく話をした。で、羨ましくなってバイトを替わった。今度は毎晩2時間で時給が360円。主に掃除機の担当だったな。先輩達とおばさん達、は床機械洗浄ワックスとモップを使って掃除をしてた。ほとんど毎晩90分程度で掃除が終わるので、その後ガードマンのいる裏口のそばのベンチで30分ほど時間調整をして、しっかり2時間分のタイムカードを押してから帰るのだった。
その頃のガードマンとはよく無駄話をしたのだけれど、一番面白かったのは刑務所の話だった。更生したムショ帰りは、警察のOB会社の警備会社に勤めることが多い。
そこで聞いたおもしろ話の一つは、安藤組の若いヤクザが刑務所でいじめられた話(ほら、安藤昇が芸能人になんかなったので、子分はいじめられたらしい)。それと、剣菱がまだ全国的に売れまくる前の話は、金粉入り超特級の日本酒の話で、年間600本しか作られないそれを飲んだ時の話だった。(後に、酒屋はみんな知ってる剣菱の樽買いの噂が飛び交う前のこと。剣菱が全国的に売れまくった頃、急に味が落ちたと思ったら、よその蔵元の樽を買ってラベルだから剣菱にしてたって話ね)
閑話休題
毎晩2時間のバイトだから、720円の稼ぎなんだけど、よく一つ上の先輩二人とバイトの後に焼き鳥屋に行った。夏はバイトの後の生ビールと焼き鳥が美味いのだ。でも、毎晩はいけない。何しろ、生ビール一杯と焼き鳥3本だけでも1日のバイト料を超えるから(^o^);

そして17歳の時に、夏のバイトで飯場に泊まりがけで旅費を稼いだことがあった。東京の飯場で、千葉県の長崎屋のビルが現場だった。はつり屋の雑用係りで、コンクリートに使う型枠の木材(ベニヤや垂木)を剥がした後の片付けで、ベニヤから釘を抜いたりするのが主な仕事だった。三食布団風呂付きの飯場の生活で、一日2千円ちょっとの日当だった。ずいぶん安いように思うけれど、三食布団風呂洗濯付きだからね。ここで夏の旅行(野山放浪部の二十日間周遊券旅行(国鉄)で、19泊二十日)の旅費を稼いだ。これで行ったのは北海道だったっけかな、国鉄の周遊券は2万円もしなかったような記憶がある。四国旅行も同じ19泊二十日だったけど。

いんやあ、懐かしいのは、国鉄の周遊券だな。


ふぉーっふぉっふぉっふぉっふぉ(^o^);

 

 

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