私は、中学の時の先生と未だに仲良くして頂いている。
担任になった事もない、やっちゃん。
第二の母親として、35年以上続いている。
私は、静岡の丸子新田で生まれ、手越原で小学校3年生
まで過ごした。4年生~は、服織小・服織中と・・・。
人と人との出会いというのは、実に不思議なモノである。
やっちゃんが、服織中を出て何年かして、南中学校に居た時の
校長先生が村上淳子さん。30歳ぐらいの時に、パソコンで入力を
するお手伝いをさせて頂いた事から知っていた。そして、やっちゃん
から『淳子ちゃんは・・・淳子ちゃんは。』と話を聞かされていた。
先日、やっちゃんから、『淳子ちゃんが、奥田くんの担任で、本を
出していたみたいから読んで。』と渡された。
私も、服織に行かなければ、奥田君と同じ中学に通った事でしょう。
奥田君は、幼稚園と小学校の幼なじみで、学校帰りに遊んだ
事もあったし、お母さんも知っていた。
30歳を過ぎた時に勤めていた会社の上司と同僚とたまたま
入ったお店が、『花見小路』。カウンターの中に居たのは
奥田君に、お母さん。そして、お父さんも。
『麻子ちゃん、久しぶりだね!!小さい頃から、変わってないね。』
って。それからは、ホントに、花見小路によく行った。
一度、この店が気に入ると、飽きるまで行くのが私の性格。
でも、いつも、お客様が一杯で入れない時もありました。
いつの時か、奥田君のお母さんが、『透、銀座にお店を出す事に
なって、ここを大将と私に任せて行っちゃった。』なんて話をしていた
のを覚えている。それから、ミシュラン、三ツ星になった事も聞いた。
奥さんと二人で頑張ったんだなぁ~と思っていた。
いつの日か、花見小路も無くなっていて、ガッカリしていた。
借りた本を、火曜日の夜から読みだした。
本の表紙が、奥田透君で、懐かしく感じた。
読むと、子供の時からの事から、高校生時代は劣等生・・・。
でも、働くのが好きだったし、25歳で自分の店を持ちたいと。
同級生だから!有名になったから!という訳ではなく
同じような境遇であったり、目標の持ち方も似ていた事に心打たれた。
そして、何より、奥田君の努力する姿勢が大好きである。
学校の先生になりたい気持ちも・・・。
でも、私も勉強が出来なくて、出来なくて。いや、正直、向いてない。
それより、身体を動かしている事の方が好きで。
そして、努力する事が、一番の近道だという事を知っているのが
素敵!!
私も、これまで、色々な仕事をして来た。
服の販売。プログラムの仕事。事務員。ラーメン屋の定員。
お好み焼き屋やカラオケでバイトなど。
今、自分で、お店を持ち、全ての事が役立っている。一つとして無駄
な事は無いと思っている。いや、色々な経験をしてきた事によって、
今があるのだと思っている。
私が、今のお店を持つ時に、ある方から言われた言葉がある。
『あの時に、あ~しておけば良かった。こうして置けば良かったと
後悔しない!』常に、この言葉は、私の心の支えである。
苦しくなった時、何かをする時に、真っ先に、この言葉を思い出す。
だから、一日が終わり、今日も後悔が無かったように終わらせている。
知人に、私は、貴方とは違って住む世界が違うとか、貴方みたいには
なれないから!!と言われる。別に、私は大した人間でもないし、
出来る人間でもない。
ただ、コツコツと毎日、目標に向かっているだけでの事だし、
生きているからには必要とされている日々でありたいと思っているだけ。
何の努力もしないで、楽してお金を稼ごうとか騙そうなんて思っている
に訳の分からない事は言われたくないっていうのが
正直な気持ちであります。
今朝、また、『世界でいちばん小さな三つ星料理店』を読みだした。
お互いに、手を使う仕事であり、お客様を満足させる仕事。
笑顔で帰って頂けるお客様の為に、日々、頑張りましょう!!と。
久々に、いい本に出会えました。