『名古屋 空手物語 ~怪物志願~ 』第51話

 

《第一次有段者大量脱退 其のⅣ》


現在通っている師匠である会長の許に、12月8日日曜日の午後、青龍刀分支部長クンが柔道の国体で三位に為った事もあるТ氏を連れて来た。本番の稽古に入る前段階で沖縄空手の剛柔流が良く行うお互いの前腕部を打ち付け合う準備運動を私と行った。
Т氏が、「重いですネ・・」と一言呟いた。勿論、身長も体重も彼の方が遥かにデカイ。だから彼は決して、物理的な重さを云った訳では無い。私の技自体の重みと云うか、芯の通った打ち込みに対して余り打撃を専門にしない柔道家としての感想が洩れ出たのであろぅ。


其の後、本番の稽古に突入し繰り出される会長の数々の技に不可思議さを実感されたТ氏は…其の体験談を知り合いの吉田秀彦氏に語った処、吉田秀彦氏から友人の桜庭和志氏にも伝わり大変に興味を持たれたとの事。
一度、体験してみたい様な感じであったらしい。


吉田秀彦と云えバ、1992年バルセロナオリンピック(-78kg級)の金メダリストにして、「PRIDE」にも出場したプロの総合格闘家である。同じく桜庭和志も、高校生の時にアマチュアレスリングを遣り込みUWFインターナショナルに入社、プロレスラーで活躍の後に総合格闘家に転身している。
Т氏は、柔道の試合で吉田秀彦にも勝った事がある関係から、現在も親しくして貰っているとの事。


まぁ、万に一つの可能性ではあるが、吉田秀彦と桜庭和志が本当に来たら凄ぃ事である。
こんな超一級の格闘家達とは、なかなか手合わせ出来る機会など無い。否、我々の如きアマチュアなら、ほぼ生涯を通じても皆無であろぅ(苦笑)。


別にこんな年齢に成って(いよいよ来年は還暦デッス)まで殴り合いを好む訳ではないけれど、軽い手合わせをすれバ大体の相手の力量は判るでしょう…流石にプロで闘って来た一流処は違うナァと実感する事が漸く出来るかなぁ~(楽しみだワ)。


と申しマスのも、今までに出会った武道や格闘関係者が余りに不甲斐なかったからである。自分は柔道三段デス!! 合気道三段デス!! アマチュアですが、ボクシング経験者です!! 其れで実際に闘ってみると、お前!!! ホンマかいゃ…っテ手合いが多い事々々々etc、etc・・・・・・
以前にもブログに記したが、私は決して自分が特別な事を遣って来たとは今でも思っていない。40年前の極真愛知支部○○○道場で血を流し傷付いて遣って来た稽古は、日本全国の空手道場で当たり前に行われている内容だと信じていた。
寧ろ、我々よりも先人の大先輩方の時代は、もっともっと何百倍も過酷な稽古であっただろぅとも考えていた。


しかし、此れまでに手合わせしテ納得出来たのは、矢張り古巣の極真愛知支部○○○道場の仲間達(先輩や後輩)ダケだった。


ブログにも度々登場した私の後輩に当たる(鬼の四課デカ長)の昭クンなんか、フルコン空手の一派である○○会の人間をフルボッコにしている。彼には面白い逸話があって、1000人を素手で倒した男と称賛されている理心塾の村井義治塾長とお会いした時に、「怖い顔ですネ」か「凄ぃ顔ですネ」だったか、と云われたらしい(爆笑)。
私は会った事は無いが、村井義治塾長ご自身が『実話時代』(現在は廃刊だが、昔は私の愛読書でした。立ち読み専門だったケドもネ)に載ってる方達並の怖い御顔立ち…そんな村井先生をしても昭クンの顔は危ない顔の顔面凶器だソォです。
似ている顔を有名人の中から探せバ、矢張り「鬼の黒崎」デスかネェ…此の間も冗談デ昭クンに、御尊父様(黒崎健時先生)が亡くなられたソォでお悔やみ申し上げますと告げておきました(笑)。※黒崎先生は御健在だソゥです。誤解を招く発言をお許し下さい。ブログの発言は、実際に行われたモノを掲載しておりますのデ、此のまま残させて頂きます。


黒崎健時…大山空手時代からの師範代にしテ、キックボクシング目白ジム会長であり新格闘術の創始者である。大山館長の評価は、時代に拠って乱高下を繰り返したが此の方への格闘家達の評価は何時の時代も高評価だ。
少し前まで大山倍達は大した事無かったと云う伝説崩しが流行ったけれど(実際の指導者としてとか人格的な欠陥は別にして)、黒崎健時の空手現役時代に空手では大山倍達に勝てなかったのは事実である。御本人も著作(『必死の力・必死の心』)にて顕わにされている。元々、濱口雄幸首相暗殺未遂犯であった日本の右翼活動家佐郷屋留雄氏の許に居た方だから、勝負事に関して甘っちょろい方では無い。そんな人が勝てなかったと云うのだから、其の一言のみでも私は大山倍達館長の強さを信じたいと思う。


御話は少し逸れるが、卑弥呼様とお茶会をしている時にこんな空手団体を知っているか? と訊かれた。
「真正会」と云うらしい。正直云っテ、訊かれた瞬間は全然判らなかった。しかし、卑弥呼様が何時も持参されているiPadのパソコンで検索すると、北海道から熊本まで全国に支部があると云う。極真会館や正道会館ならいざ知らズ、日本全国に隈無く支部を持つ様な巨大空手組織の名前を今まで訊いた事が無いなンて有り得ない。
どんどん画面をズラして行っテ先頭画面に漸く辿り着くと、其処には観た事のある上半身空手着姿の顔写真が掲載されていた。
なンだ…「正道会館」の中本本部長じゃンか!! 分裂したとは訊いていたけれど、「真正会」って名称に成ったのネ。びっくりしたぁ~!? 無名の空手団体に全国組織なンて有る訳ないがやと思ってたら、実は…と云う顛末でしタ(爆笑)。


毎回、何ンやかやと報告する事柄が発生し、遂々前置きが長くなって仕舞いますけれど、此処からは再び前回の続きを始めましょう。


(金沢)兼六園ちゃん以降の六名は、名前を観ても記憶に無い。ひょっとしたら、忘却しているダケで顔を観れバ思い出す方達カモ知れないが、申し訳有りません。
次に来るのは、(村瀬)ビッグマグナムである。彼の事は、ブログで何章も割いて紹介したから、読み返して頂けれバ幸いかナ。世の中には、実に端正な顔立ちをして居て、此の方本当にヤクザの会長さんですか!? と云う人物が時々居られますが(当然、若い頃はヤンチャして暴れ回っている)、(村瀬)ビッグマグナムちゃんも此の顔立ち(俳優の村井國夫そっくり)で暴れるかヤ…と云う人でした。
一度、道場に入会して辞めてから再入門しているのデ、本来は私よりも先輩だった筈だし年齢も一つか二つ上だったかナ、なのに私を先輩として立てて呉れて組手でも遠慮して居りました。なのに、相手が同期だとか道場の外に一旦出ると実に喧嘩っ早いのだから、其の豹変振りには驚きです(苦笑)。
(村瀬)ビッグマグナムちゃんのライバルは、(末永)ダンベルちゃんだったケドも脱退の署名に参加して仕舞ったから、名札が無くなってますネ。
因みに(末永)ダンベルちゃん、春日井道場の指導員が居なかったのデ急遽先生に赴く様に指示されたのですが、昭和道場を出て二時間後ぐらいに電話が有り、春日井道場の場所が見付かりませんと哭いていたソォです(笑)。


其の春日井道場に黒帯として出向いたのが、(高良)沖縄先輩ですワ。年齢的には、確か先生と同い年でした。私より先輩の筈なのに、何故こんな位置に((村瀬)ビッグマグナムちゃんの二つ後)名札が掛かっているのだろぅか!?
(高良)沖縄先輩が未だ昭和道場に在籍していた時、面白い事件が御座いました。基本が終了した後に黒帯指導員が当日の色帯出席者の名前を呼ンで確認していた(黒帯同士は人数も少なく顔もお互いに熟知しているので原則出席は取りません。但し、当日の出席簿には黒帯も名前を記名する)のですが、出席簿の名前を順番に読み上げていた(高良)沖縄先輩が突然、「(後藤)極道くん!!」と呼び掛けました。勿論、返事が有りません。「(後藤)極道くん!!」、「(後藤)極道くん!!」、…「居ないの!? (後藤)極道くん!!」。
ムキになって呼び掛け続ける(高良)沖縄先輩の顔前に、道場の受付の椅子に腰掛けていた(後藤)極道師範代が、「(高良)沖縄!! 俺の事か!?」と出て来たのです。「あっ!!! 師範代の名前か…御免ン!!」と目を丸くしたのでした。
(高良)沖縄先輩は、本当に天然の人でしたネ(苦笑)。我々が二十歳前後の時に三十歳前半でしたから、先生からも「(高良)沖縄、無理するナよ」と気遣われてましたし、春日井道場には若手でバリバリ現役の(磯川)コング先輩や私の実弟が指導員として控えていたのデ、(高良)沖縄先輩のお手を煩わせる様な出来事は何も無かったと思いますヨ。(松田)極真浜井派系列団体尾張名古屋代表や(澤平)誠道塾愛知支部支部長などの将来有望な白帯も居たしネ。


さてと、(高良)沖縄先輩の後ろは(松浦)尊称か…此奴もネ、遂々揶揄いたくなる様なキャラクターの可愛い後輩ですワ。当時の道場に三名程しか在籍して居なかった女性空手家の中デ一番年長だった(と云っても私より少し年上なダケ)(山口)百恵さんから、昭和道場の大鏡に向かって後回し蹴りの練習をしていた(松浦)尊称が駄目出しをされた事件ははっきりと覚えています。
「(松浦)尊称くん、其れはダメ!! 違うヨ。コゥ遣って蹴りなさい」…だっテ(涙!!!)。確かに(山口)百恵さんは私と同じ時期の昇段だから、(松浦)尊称の先輩ですけどネ。(松浦)尊称!! テメェは女性に指導されるなヨォ~な!!!
そんな彼も、極真の昇段登録を観れバ、現在は弐段だから私よりも上級者だわネ( ̄◇ ̄;) (松浦)尊称先輩か「さん」付けで呼ばにゃならンのかぃナ!?
纐纈卓真の百人組手の前日、先生の空手五十周年祝賀会の後で40年振りに出会えたけれど、余り変わっていなかった。
嬉しかったのは、私が退会する直前か退会後直ぐの頃かに、先生を訪ねて昭和道場へ出向いた時、先生は不在だったが(高木)ブーと(松浦)尊称が居て最後の組手をしたのを覚えていて呉れた事である。


40年振りに出会った(松浦)尊称は、酒場で酔っ払い涙ながらにコゥ語った。
「自分も此れまで極真に賭けて来たンですヨ!! そりゃあ、(秦野)陸自先輩や(高木)ブー先輩やQ先輩には遠く及びませんがネ。其れでも、後輩には敗けまいと意地を張って遣って来たンですから」と周りを見廻しながら吼え捲くる。
私は、「まぁまぁ落ち着け(松浦)尊称…お前の努力は認めるからサ」と一生懸命宥め賺かしましたワ(爆笑)。


(松浦)尊称の後の名札で知っているのは、(花沢)徳衛と(三宅)裕司の二人ダケである。二人共に雲竜会館の指導員(菱川)師宣の秘蔵っ子だった。お前ェら、昭和や春日井、南道場の奴らに敗けたら殺すゾ!! が(菱川)師宣の口癖だ。
確か、小っこい方が(花沢)徳衛デ、春日井道場の(松田)優作とライバル関係だった。デカイ方が、(三宅)裕司で俺の顔面に一発入れてコチラが殴り返す前に雲竜会館の外まで逃げ出した野郎である(苦笑)。アレも絶対、前以て(菱川)師宣の野郎が指図し因果を含めていた事だと確信している。


こんな感じでしょうか。今回の章も此れデ終了したいと思います。次回からは、何を書いて行きましょうかネ。考えて於きますワ。
其れでは、又・・・・・・ネ!!!

 

【※此の作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、一切関係ありません】