『名古屋 空手物語 ~怪物志願~ 』第59話

 

《愛知支部黒帯 第一期生から辿る足跡 其のⅦ》


岩倉の豪ポン(つよぽん)から、ジェイソン(鈴木)の正坊や(川合)鬼の四課デカ長の昭クンの恐怖伝説と云うか、悪の噂(苦笑)を沢山訊いた。

 

譬えバ、ジェイソン(鈴木)の正坊が、少なくとも此れまでに5名以上の人間を伸ばしテ、地元の川へ放り込ンだ事件とか…


(川合)鬼の四課デカ長の昭クン及びジェイソン(鈴木)の正坊、(川合)鬼の四課デカ長の昭クンの岡崎支部時代の後輩くんの三名デ、反社の人達40人ぐらいを相手に暴れたとか…コゥ云う争いゴトは、遣りっ放しにしてはいけない。組織対組織でも、必ズ揉め事の後には話し合いや和解の場が設けられる(渋谷安藤組の花形敬は、東声会との和解を怠った為に殺害されている。『人斬りやくざ 実録・ある無頼の涙と血』藤田五郎著 『一徹ヤクザ伝・高橋岩太郎』山平重樹著)。
(川合)鬼の四課デカ長の昭クンも、酔いが醒めた翌日にはちゃんと一人々々を訪ねて和解している。

 

(川合)鬼の四課デカ長の昭クンが、不○○空手や誠○○○空手の人間をボコボコにしたとか…


ジェイソン(鈴木)の正坊の自宅前を通った岩倉の豪ポン(つよぽん)が、昔、ボコボコにされたりとか…最近、自宅に中学生の娘さんと一緒に居る処へ出食わしたらしい。
「ウチの娘だヨ。コチラは、岩倉の豪ポン(つよぽん)。お父さんの古い知り合いさ」
岩倉の豪ポン(つよぽん)は、返事に窮して仕舞ったソォだ。野獣(ケダモノ・性獣)なンですヨ、君のお父さんは…などと娘の前では、口が裂けても云えない。話せない過去ばかりだから、会話が続かないのダ(苦笑)。


二人共、私の直接の後輩では無いから、彼らが此れまでにどんな人生を送って来たかは、全く知らない。只、今実際に接している二人は、とても良い子である(爆笑)。


確かに、二人の面構えを観れバ、かなりヤンチャを遣って来たダロゥなぁと頷ける。しかし、其処は大学の武道部など比較に為らない縦社会の元極真である。こんな私でも一応、先輩としテ二人は立てて呉れる(絶対に面従腹背ダロゥなぁ!! 失笑)…但し、私もソォだったが、幾ら先輩でも組手が弱かったら舐められ馬鹿にされる。舐められるダケなら良いが、実際に組手が有るのデ、本気で潰しに来られて殺られたら翌日からは道場に顔を出せなくなる。
そんな理由(同輩や後輩にボコボコにされて)で、道場に出て来なくなった道場生も昔は多々居た。勿論、私が20代の頃だから、30歳以上の方達にそんな事はしない。同年代近辺の若者に対してダケである。でも、余りにも遠慮して来る後輩は、流石に叩けなかった・・・ネ(苦笑)。


ソォ云えバ、先回話題に出した(秦野)陸自野郎と今でも付き合いのある(W)清水建設くんを知っているか!? (川合)鬼の四課デカ長の昭クンに訊いてみた。他のメンバーは、南道場出身者が殆どなのデ、昭和区の本部道場に居た人間でないと面識が無いと考えたからダ。
(W)清水建設くんは、白帯の時に黒帯指導員だった私の指導を受けたと云う。しかし、私の前には白帯くん達が50名以上居たのデ、(W)清水建設くんの記憶はほぼ無かった。私の時だっテ、ソォである。同期の白帯はもっと多く、100名くらいは居たのジャないかナ。白帯から顔や名前を覚えて貰うには、余程印象に残る(インパクトのある)事をしないといけない。特に組手だろぅ…アイツ強いなぁと警戒されて初めて上の者に記憶して貰える。
実際、黒帯指導員の印象に残る程の白帯は、数百名に一人も居ないくらいダ。私でも、黒帯指導員とマトモに話しテ貰える様になったのは、黄帯から緑帯に掛けての頃である。周りを見渡せバ、100名以上居た同期が、10名程に減少していた。
一番親しくしたのは、稽古の時間帯もあるが、第一期黒帯指導員の(市川)海老蔵先輩や第二期黒帯指導員の(井上)機動隊先輩、第三期黒帯指導員の(宮城)チョッチュネェ先輩たちだった。


(川合)鬼の四課デカ長の昭クンは、「ひょっとしテ、全四国大会で三位に入った人じゃないですかネェ…!?」と曖昧ながら応える。
私は、エエエエエッ!!! (W)清水建設くんっテ、そんな大物だったの・・・全く知らンかったワ。(秦野)陸自野郎め!! 先輩ヅラして、「(W)清水建設」「(W)清水建設」っテ振り回しているケド、何時かブッ飛ばされても知らんゾ(苦笑)。

 

久々にDVD映画を語ろぅ。
『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』(2014年)を観た。第二次世界大戦の時、ドイツが使用していたエニグマと云う暗号通信をコンピュータの様な仕組みの電子計算機を設計・製作して解読するアラン・チューリングの物語である。
世界大戦の後半で暗号解読に成功し、戦争終結時期を二年早め1,400万人の欧州人の命を救ったとされている。しかし、其の事実は人々に知らされズ、2013年に宇宙物理学者のスティーヴン・ホーキング博士らがチューリングの名誉を回復させた。


何故、英国国家にアラン・チューリングの業績が黙殺されていたのか!? 
映画内容から推察するに、二つの事柄が考えられる。暗号解読に成功してからも国家は、総てに善処した訳では無い。独国に暗号解読の成功を察知されたくなかった英国政府は、時に応じて対応作戦を決行して行った。従っテ、襲撃目標が判明していても、何も対処を行わない場合もある。其の場所では、自国民の犠牲者が発生している。
こんな事が発表されれバ、被害者家族からの謗りは免れない。


更には、第三次世界大戦も見据えていたのではないだロゥか…再び、独国がエニグマ暗号を使用して呉れれバ、英国の勝利は揺るがない。暗号が解読された事実は、出来るダケ長期間察知されない方が有利ダ。


現在のコンピュータのプログラム方式考案者のジョン・フォン・ノイマン、情報量の問題を理論付けしたクロード・シャノンと共にアラン・チューリングは、近代コンピュータの父と呼ばれている。


私事で恐縮だが、私のパソコンの歴史は1981年のNEC「PC-8801mk2」(8bitマシーン)から始まる。其れ以前に「Multi8」と云うのを購入したが、今から思えバまるで玩具だった。「PC-8801mk2」では確か、「ジェット88」とか云うワープロソフトも使えたし、「ビジカルク」???とか云う表計算ソフトも存在した様な…ちょっと、記憶が遠いですが!?
1994年には、アップル社の初代PowerMacintosh 8100/100AVを購入している。当時は、RAMが1MBで一万円もしたから、40MB積ンだら本体価格を入れて100万円ぐらいになって仕舞った。未だマイクロソフト社のウィンドウズが、「Windows 3.1」と云うMS-DOSで動いているマシーンの時代だった。
私がマックに填まったのは、友人宅を訪れた時、デスクに置かれていたMacintoshPerformaを触ったからだ。Performaは、大変に安価でアップル・コンピュータには珍しく「クラリスワークス」と云うソフト(Microsoft Officesに近いソフト)が最初からバンドルされていた。
元々、Macintoshには、OS以外の付属ソフトは組み込まれていない。現在なら、Microsoft Officesの「ワード」や「エクセル」で十分に可能なDTP(Desktop publishing、デスクトップパブリッシング)も、1990年代では「Aldus PageMaker」「Adobe Photoshop」「Adobe Illustrator」などのソフトを後からインストールしないとチラシ1枚すらパソコンでは作成出来なかった。何れも、一本10万円以上したソフトばかりである。勿論、当時の「Windows 3.1」ではとても不可能な作業なのデ、IBM・モトローラ社が開発したPowerPCを組み込ンだPowerMacintosh 8100/100AVを購入したのダ。
兎に角、普通乗用車一台分(150万円~200万円)の大枚を叩いて購入したパソコンやソフトだったが、現在では20万円以下のWindowsパソコンで其れ以上のパフォーマンスが発揮出来る(涙!!!)。


何故!? こんな話をしたかと云うと、アラン・チューリングと繋がっているからダ。アップル社のロゴマークを御存知だろぅか!? 林檎の向かって右上が半円欠けたお馴染みのマークである。
アラン・チューリングは、ゲイ(同性愛者)だった。其の最後は、色々な伝説に染められているが、或る一説では好物だった林檎にシアン化カリウム(青酸カリ)を塗り、其れを齧って自殺を図ったと云うモノだ。
当時、英国ではゲイ(同性愛者)行為は犯罪で、拘禁処罰の対象である。映画にも、ゲイ(同性愛者)である事は語られている。そして一箇所、研究仲間と打ち解ける為にチューリングが一人々々に林檎を配るシーンが描かれている。映画では、自殺のシーンは描かれない。象徴的な林檎が登場するのは、唯一其の場面ダケだ。
1954年に41歳の若さで自殺したアラン・チューリング…アップルの創業者でカリスマ的な経営者だったスティーブ・ジョブズは、敬愛するアラン・チューリングへのオマージュとしテ、自社のロゴマークを齧り掛けの林檎にした。
数有る伝説の中の一つだが、私は此れコソが真実だと確信している(余り世間には、此の説は広まっておりませんけれど・・・)。


映画『ビューティフル・マインド』(2001年製作 ノーベル経済学賞受賞の天才数学者ジョン・ナッシュの物語)もソォだが、天才には変人が多い。『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』の映画の中でも、「変人にしか偉業は達成出来ない」みたいな事が語られている。
「天才とキ○○○は紙一重」と云われるが、私も幼少時代、近所の「○○医院の息子は、超天才だったけれど、おかしく成っチャった」と云う親たちの会話を朧げながら記憶している。


真逆、天才空手家は、キ○○○じゃないよナ(汗!!)…「空手バカ」なら良いけれど、「馬鹿空手」では洒落にならない。私の同期には、馬鹿空手(高木)ブーと云う者が居るケドさ(爆笑)。

 

さて、今回は黒帯の先輩方の御話をしないと…ネ。先回、飛ばしテ仕舞ったから・・・・・・ヾ(´▽`;)ゝ


何時も通り「一般社団法人 国際空手道連盟 極真会館 公認有段者名簿 2019年12月20日現在」から抜粋して順番に。前回は、(宮城)チョッチュネェ先輩だったかナ!? 其れと、(遠藤)ダスキン先輩か。
(宮城)チョッチュネェ先輩の次は、(望月)名古屋大学先輩だナァ…モッちゃんはネ、私の実弟と同学年だから、二歳年下に当たる。モッちゃんが第三期黒帯で、私が第六期だから三期違い。モッちゃんが黒帯の時に私は未だ黄帯だった訳か。
青帯をスっ飛ばし黄帯に昇級した私は、然も5級・6級の黄帯の5級の方(格上)だったから、正直云ってちょっと調子(天狗に成る)に乗ってましたナ(汗!!)。
モッちゃんとは、組手でバチバチ顔面を叩き合ってた。モッちゃんの同期黒帯に同学年の(磯川)コング代表も居たケド、(磯川)コング代表とは小学生からの知り合いデ、顔面バチバチは流石に遣り難い。其れに、(磯川)コング代表は優しいから、巨体なのに引っ掛けてからの倒し込みを組手の主流にしていたのデ、殆どコチラも顔面バチバチには至らなかった。
しかし、モッちゃんは顔面バチバチ派だったから、先輩とは云え実弟とタメ歳の人間に敗けられないとばかりに遣ってましたワ。


他にも実弟と同年代には、後に付き合いが始まる(小林)探偵団先輩や(後藤)又兵衛先輩のセイちゃんが居たケド、(小林)探偵団先輩はモゥ既に岐阜道場へ移って居たし、(後藤)のセイちゃんは私の事を、「兄ちゃん、兄ちゃん」と慕って来るのデ、余りガンガン組手をした覚えが無い(失笑)。
モッちゃんは、私よりもタッパ(長身)が有ったから、手足の長いモッちゃん相手に、私は下から突き上げる様な掌底で顔面攻撃を仕掛けた。何時も組手の一分が終了すると、モッちゃんは真っ赤な顔面に成っていた。其の顔で満足気にニッコリ笑って「押忍!!」と終わりの挨拶をして呉れるから、私には憎しみも無けれバ何が何ンでも倒して遣ろうと云う気持ちも無かった。


今でも覚えているのは、私が茶帯ぐらいだった時か、100kg超級の巨漢が白帯で入門して来た。未だ誰も組手を試していない段階デ、組手の時間にモッちゃんが其の白帯を誘導して私の前に出した事だ。
おぃおぃ、黒帯のアンタが殺れバえぇやんケ…ソゥ思いながら相手をした。此れダケなら、忘れている処だが、あろう事か暫く経って再度、彼を私にブツけて来たのである。巨体とは云え、空手初心者の男だ。しかし初心者だが、もしも不覚を取ったら、明日から道場に来られなくなる。
結局、ボコる手前ぐらいで止めて置いたつもりだったが、彼は次の日から現れなかった(苦笑)。全部、モッちゃんの所為でっセ(爆笑)。


モッちゃんにも、古い伝説が有る。
名大生だった賢いモッちゃんが、誰かの代わりに国家試験を受けて受かったと云う伝説である。今でも、其の誰かは公務員なのダロゥか!? 40年も前の伝説なのデ、事の真偽を確かめ様も無いのだが(現実にそんな不正が出来るとは、とても思えないし)…頼む方も頼む方だが、受ける方もドォかと思うヨ(苦笑)。

 

【※此の作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、一切関係ありません】