東京新聞の望月記者が書いた小説を元に制作された映画。内閣のウソ、圧力、捏造、ごまかしを暴き、真実を明らかにしようとする新聞記者をシム・ウンギョンさん、立場と正義の板挟みになる若手官僚を松坂桃李さんが演じた。この「新聞記者」が今年の日本アカデミー賞で三冠を獲得した。作品賞、主演女優賞(シム・ウンギョン)、主演男優賞(松坂桃李)の主要な三賞である。

 映画では安倍内閣、と名指しするわけでもなく、日本政府が行う右翼を使った情報操作や、官僚に人事をちらつかせて圧力をかけるやり方、国のために尽くしたいと高い志をもって国家公務員になった、優秀で真面目な人から潰されていく姿がこれでもかというほどリアルに描かれている。

 主役は題名の通り、真実に迫る新聞記者だが、自分はこんなことのために官僚になったんじゃない、と悩む姿を演じる松坂桃李扮する若手官僚がもう一人の主役と言っていい。

日本映画にとっての試金石

 韓国映画の「パラサイト」が貧困問題を描いて世界的に話題になったが、日本映画もここでまだまだやれることを示してほしいと思っていたところに、この「新聞記者」が日本アカデミー賞で三冠をとったことで、日本アカデミー賞のを見直した、という声も聞かれる。大手配給会社である、東映と東宝と松竹が回り持ちで賞を取る出来レースなどと言われたこともあったが、やるときはやるじゃん、といったところだろうか。

 そのことだけではなく、忖度なのか圧力なのか、ほとんど番宣もできない中で、おそらく見た人の口コミで広がっていったのだろう、松坂桃李さんも見に来てくれた人が広げてくれたことが受賞につながったというようなことを述べている。

 そんな中で作品賞を与えたことで、日本アカデミー賞はその存在意義を大いに示してくれたし、これなら今後も優れた作品が日本に出てくるのではないかと期待を抱かせる、そんな受賞だった。日本映画会のちょっとして踏ん張りを見せてもらったような気がする。

俳優としても松坂さん

 俳優というのは羨ましい仕事で、あんなイケメンに生まれて、というようなことだけでもそうなのだが、作品を通じて、いろんな世界に入っていける数少ない職業だと思う。

 例えば、「ラスト・サムライ」を演じた渡辺謙さんは、日本とは、明治維新とはこういうことだったのか、という気持ちにさせられただろうし、「スパイ・ゾルゲ」を演じた本木雅弘さん、「笑の大学」を演じた稲垣吾郎さんなども同じような気持ちだろう。松坂桃李さんもきっとなにか感じるところがあったのかもしれない、この作品を通じて、伝えるべきことは伝えたい、自分の判断で選択できる意志を持つことの大切さを訴えたい、という趣旨のことを述べておられる。これから先、またどんな役を演じてくれるのか楽しみだ。

これは我々自身の問題

 俳優としての松坂さんが大きくなってほしい、と願うのはよいとして、それではただの他人事になってしまう。私もまた、見るべきものは見、考えるべきことは自分の意志をもって主体的に考えよう、あの映画をみて改めてそう思わされた。あんなキタナイことやってやがるのか、と悪人を苦々しく思うのではなく、民主主義社会である以上、私達が作った「キタナイ」ものだと考えるしかない。さんざん部屋を汚し、散らかしたのは自分なのに、見たくない、と目を背けると、もっとひどくなっていく。あくまでも自分の部屋である以上、自分が責任をもって片付け、捨てるべきものは捨てなければならない。