ずっと見ているようで、見ていなかったところ。
私の思い込みの中の夢の家族だったのかもしれないと感じた今日の午後。
このままではやばい!!と感じたのです。
研修に参加していた3か月近く、一日のスケジュールはセミナーとプロジェクトの活動とでいっぱいの日々。
実際家のことに関わる時間はあまりありませんでした、
それでも家族は何も言わないし、どちらかというと協力していてくれたので、
有難いな・・と思っていました。
けれど、研修が終わり、私自身が感じていることをキャッチしやすくなったのもあり、
日々日々、何か詰まっている感じが強くなるな・・と思っていました。
それが今日あらわになったのです。
それを決定した出来事が、買い物行って、フードコートでおやつタイムの時。
フードコートの4人掛け席は自分の全面と横とをアクリル板で仕切られていて、
目の前の人と会話が届かないのです。(うちの家族が声が小さいということもあるかもですが)
食べ物もテーブルの真ん中に置いてシェアすることができないので、なんか孤立感。
さらに、隣に座った旦那さんがずっとスマホを見ている。
そこにも、私が相手にされてないことの寂しさを感じました。
でも普段家にいると、ほぼ私が電話しているから、旦那さんに対して寂しい気持ちを伝えられません。
アクリル板と旦那さんからのW孤独。
そして普段の私の行動の振り返り。
私は孤独なの?家族にも孤独を作ってしまってる?
家族のつながりはあると思っていたけど、
実は全くつながっていなかったのではないか・・やばい!!
それらを感じたら、私一気に機嫌悪くなり、目でみえる境界線を消そうと、
家族に話すことなく、目を閉じてみたり、トイレへ行ってみたりしました。
でも逆にそれが追い打ちをかけます。
目をつむってても、トイレへ行っても、そのあと機嫌の悪さを出してみても、誰も「どうしたの?」
と聞いてくれません。
「私の存在が無視された、絶対孤独」
の私の無意識エンジンがブンブンとフル活動。
この状況を何とかしなければ。何とかするためにはこの観点を0化しないと。
0化して、新たな私になって、関係性を築くぞ!という考えが発動。
そしてさらにモヤモヤしていくのです。
買い物は機嫌悪いまま終わり、帰ってきてからは私は仕事があったので、
気持ちを切り替えるという状態になりました。
でも仕事が終われば、モヤモヤ、気が重い。
それを救ってくれたのが仲間からもらった観点でした。
アウトプットしてみるものです。
結果、絶対孤独の私を選択してもいいし、そのほかの観点も選択できる。
私はどちらを選択したいのか。
今ここは無限の可能性からの選択で、自由に選択できる。
絶対孤独の私を選んでもいいし、ほかの選択肢を選んでも大丈夫。
ただ、今何を選択しているのかを気づくだけ。
それを聞いて凄くスッキリしたのです。
絶対孤独よりも、新しい行動をする私を選択すると。
私自身も相手も傷つけるのは嫌。
なので、旦那さんに伝えてみました。
私は寂しかったこと。
まずはそれで大成功!!!
×から〇へ観点を変えるのではなくて、
観点自由の根本から観点を選択すること。
それが本当の変化。
やばい!!と思う家族はなくなりました。
IT×哲学×真理で愛の大爆発を起こそう!
善家 圭