指導することは型にはめることではなく… | フクロウのひとりごと

フクロウのひとりごと

愛知県在住のトロンボーン吹き、作編曲家、吹奏楽指導者。
おもに吹奏楽の活動に役立つ情報を発信中!
バンド指導をご希望の方はお気軽にご連絡ください。

「これはこうだよ」「こうやって演奏しなさい」「こうしてはいけません」…

そんな内容ばかりなのって、どうなのでしょうか…。レッスンや指導のお話です。

 
こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。
 
 
 
型にはめる
 
正解や、正しいことや、すべきことや、考え方、それらを伝えて、
時には主義主張や信条、自分が過去に教えられたことなんかも伝えて(そればかりの人もいる?)、
そして、良い悪いを判断して伝えて、こうしなさい、それはダメだと伝えて…
もちろん、そういう部分も必要なのかもしれませんが、でも、
そればかりのレッスンや指導って、どうなのでしょうか。
まさに、型にはめる指導。
教え導くことって、型にはめることなのでしょうか。
 
 
正しいこと?なりたい形?
 
正しいことや、すべきことを、指導者が見極め与える指導、
なりたい形、行きたい方向を共に見つけて、そのための道を探し出す指導、
たとえばこの2つがあるとしたら、どちらがいいですか?
どちらの指導を受けたいですか?
そして、現実、どちらの指導が多いのでしょうか。
 
 
自分で選ぶ
 
ぼくの指導では、たとえば時々こんなことを訊くことがあります。
「さっきのと今のと、どっちが好き?」…
先生が判断評価して決めるのではなくて、自分自身がどう感じたかに光を当てる。
そんなことも大切にしたいな、と思うのです。
言われたからこう、ではなく、自分でどう思うか。
すぐに答えられなくてもいいのです。
こういう感覚や捉え方を育てていきたいな、と思うのです。
 
 
 
言われたから、ではなく
 
これはこうだと言われたから
こうしなさいと言われたから
これをしなさいと言われたから…
言われたからするのでは、ただロボットになるだけですよね。
ロボットは、命令してもらわなかったら、自分では何もできない。
そこから先へ成長していくこともない…。
これではいけないと思うのです。
自分で考えたり判断したり選んだり、そういうことを出来るように育てていきたい。
いろんな意味で、教える、指導するということは、ロボットをつくることではないと思うのです。
 
 
時間がないから?
 
とはいえ、そんなことをしている時間はない、という声も聞こえてきそうです。
ぼくもつい、一方的な指導になってしまうこともあると思います。でも、
どうなりたいのか、向かう方向って、一方的に与えられるものではなくて、
自分の中から見つけるものであってほしい。
少なくとも、ちゃんと腑に落ちて、そこに向かいたい。
その方が、結局は早いと思うのです。
 
 
まだ小さいから?
 
自分で考えたり判断したり、それが出来るのはせいぜい高校生以上の子たちだ…
そんなふうに言った方もおられました。
ぼくの経験からすると、全然そんなことはないと思うのですよ。
むしろ小さい子たちって、とっても感性豊かです。
そしてその感性がだんだん眠ってしまうのは、型にはめる指導のせいなのだと思うのです。
教えないことではなく教え過ぎることこそが、誰もが持っている可能性や才能を眠らせてしまう原因。
そんなふうに思います。
 
さて、型にはまる? 自分で選ぶ?