スズキというのは自動車メーカーのスズキのことで、この間新聞に100周年アニバーサリーの一面広告が出ていました。アジアではインドに早くから進出して国民車計画を推進、インドの道を走る車の二台に一台はスズキの車とまでいわれるほど力を入れてきています。

 

スズキで思い出すのは、1991年私がインドネシアに駐在する前に出張でジャカルタを訪れたとき、たまたまスズキがインドネシアで初めてとなる工場のオープニングセレモニーがあり、縁あって出席したことがありました。ジャカルタ郊外に出来た新しい工場は、赤道直下の強烈な日差しの中で、スズキの白地に赤と青の看板が輝いていました。竣工式は工場の前庭で行われ、ただ暑かったという記憶があります。

 

私がジャカルタ郊外の自動車部品工場に勤務していたある日、6〜7人の工場見学者がありました。先頭を急かせかと歩いていた人が、後ろからついてくる人たちに何やら話していましたのでよく見ると、白い半袖シャツとベージュのズボンのベルトに、手拭いを挟み込んで垂らしている初老の人で、まるでどこかの大工の棟梁みたいでした。しかしどことなくその人にはオーラが漂っていて、後でわかったのですがその人がスズキの鈴木修社長(当時)だったのです。

 

スズキは新しい立派な工場を建設したばかりなのに、何でウチのようなボロ工場を見学するのだろうと、事務屋の私はそう思ったのですが、工場の生産技術のマネージャーは後でえらく感心していました。いったい何があったのかと話を聞いてみると、鈴木社長はウチのプレス工場の天井近くにある欄間窓を指差し、部下に「ああいう風に窓を設置すればうまく風が流れて、自然換気で工場の環境を良く出来る、無闇に換気扇を回して電気を使うことない。」と話したとか。なるほどコスト削減は部品や設備ばかりでなく、あらゆるところに改善ポイントがあるのだなぁ、と素人ながらに理解できました。

 

いつだったかスズキの駐在員と話をしたとき、どうしてインドネシアに赴任したのかという話になり、彼はスズキの本社で海外事業の部門に配置されたので、すぐに手を挙げてインドネシア駐在を希望したと言うのです。何故かと伺うと、スズキはインドに力を入れているから、ボーッとしているとインド駐在を命じられるのが目に見えている、そうなったらたまらないから、インドよりずっと居心地の良いインドネシアに先に行ってしまおうとしたとのこと。ものは考えようなのでしょうが、彼が真面目に切実に語っていたのを私は忘れません。

 

 

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