入蔵、寄る年波には勝てずというか、齢のせいではないのだと思いますが、なんだか「

よろしかったでしょうか?」が気になります。

 

入蔵は自分自身そんなに正しい日本語を読み書きしているわけではないので、偉そうなことを言おうとしているわけではありません。

 

単純に「好きでない」あるいは「違和感がある」ということです。

 

最近公共放送にも使われ、辞書にも載っているという「目線」も、正しいとか正しくないとかいうことではなく、あまり好きではありません。

 

そのうち「視点」が「目点」にならないことを祈るばかりです。

 

最近、ある会社から電話がかかってきました。

 

入蔵が悩んでいる「仕事中の勧誘電話」を防ぐために有効な手段を教えてくれる内容でした。

 

入蔵はさっそくそのサービスを申し込むことにしました。

 

ただ、内容確認のための10数問の質問に答えなければなりません。

 

内容はごく簡単なもので、ただ「はい」と言っていればいいようなものです。

 

ところが担当者は質問のたびに「××××でよろしかったでしょうか?」というのです。

 

「よろしかったでしょうか?」を十数回聞かされるのです。

 

「よろしいでしょうか?」ではいけないのでしょうか?

 

そのほうが語数も少ない。

 

入蔵は苦痛を味わいました。

 

「質問は以上です」という言葉に救われたと思ったのですが

20分以内に〇〇というところから確認の電話が入ります。少しお時間を頂戴してもよろしかったでしょうか?」というのです。

 

入蔵は「よろしくないです」と言いそうになりましたが、仕事中の不要電話にも辟易しているので我慢することにしました。

 

15分ほどで電話がかかってきました。

 

そして、先ほどの電話とほぼ同じ内容の質問を「よろしかったでしょうか?」という言葉とともに聞かされる羽目になりました。

 

「やれやれおわりか」と思っていると「五分以内に△△△というところから電話が入ります。簡単な確認の電話なのでご面倒ですがお受けいただくと助かります。よろしかったでしょうか?」

入蔵はこの時点で相当気がめいっておりました。

 

でも、「あと少しで仕事中のしつこい電話を撃退できるのだ。もうひと頑張りだ」と気力を振り絞りその電話を待つことにしました。

 

五分後にかかってきた電話でデジャビュではないかと思うような質問をされ、入蔵は萎え切った気分で受話器を置いたのでした。

 

まさかの「よろしかったでしょうか?」ほぼ四十連発でした。

 

さて、明日はかつしか落扇指南所のおさらい会です。

 

事情は明日わかると思いますが、とても悲しいお知らせがあります。

 

でも、精いっぱい面白おかしい舞台を繰り広げることが、我々のできる最前のことだと信じて皆さんをお迎えしたいと思います。

 

入蔵は今までに見たことのない「転失気」と梅助さんの高座を評して、皆さんにおすすめしてきました。

 

それは人物描写が独特という理由からです。噺の運びはちゃんとしています。

 

入蔵はいつものように今から45年も前の自分の記憶を掘り起こして(この辺りの事情はこのブログを検索してみてください)「天災」をします。

 

これまでもこのブログに書いてきたように入蔵は、いつも、あまりほかの演者のCD,DVDを参考にしません。

 

ところが、入蔵はこの頃子供向けの落語の本に関心大なので、つい「林家木久蔵の子供落語 その5 まぬけな人たち編」(林家木久蔵編 東京フレーベル館 19991月)で「天災」の項を読んでしまいました。

 

すると

 

「一体何だこれは、入蔵が明日やろうとしている噺と話の運びが全然違うぞ!」でした。

 

もしかしたら、入蔵の「天災」は梅助さんの「転失気」より珍しい仕上がりなのかもしれません。

 

ただ、明日本番なのに、のんきにブログを書いている入蔵が、噺をとちらずに無事できたらの話です。

 

皆さんは試験前に、勉強に精を出さなければいけない局面で、つい漫画を読んでしまうようなことなかったですか?

 

ない?

 

そうですか。

 

入蔵は「読みまくり」でした。

 

入蔵が明日どんな顛末を迎えるか、こうご期待!

 

では、また(^O^)