某料亭の女将からもらった日めくりの、

「今日の言葉」は

 

「知る者は言わず言う者は知らず」でした。

 

これは老子の言葉です。

 

どういう意味でしょうか?

 

入蔵もいろいろと調べてみましたが、今一つはっきりとしません。

 

入蔵の考えるに「ある事物について、それの持つ、すべての背景、事実を把握することは至難の業であるし、視点を変えれば見方が変わってしまうことも多々ある。

 

そういうことがわかるほどの知識を持っていると、ある物事について、そう軽々しい発言はできないものだ」ということでしょうか?

 

入蔵はつい先日

「読書に関しては、せめてもと思い、いわゆる「名句集」に手を出すのですが、一冊の本を通して読み、その中で輝く一句を自分で見つけ出すことによって得られる喜びと同じ喜びは見出せません。」と書きました。

 

しかし、

寺山修司氏は角川文庫「ポケットに名言を」の「改訂新版のためのあとがき」の中で

 

「思想家の軌跡などを一切無視して、一句だけ取り出して、ガムでも噛むように『名言』を噛みしめる。その反復の中で、意味は無化され、理性支配の社会と死との呪縛から解放されるような一時的な陶酔を味わう。」(ポケットに名言を 寺山修司 角川文庫 平成18年 改訂6版 p.183

とお書きになっています。

 

このあとがきは皆さんに是非全文お読みいただきたいのですが、入蔵の発言(文章)を「言うものは知らず」の例、寺山氏の発言は「知る者は言わず」の「『知る者』が発言するとこうなる」の例として、読んでいただき、両者を比較していただくと、本日の老子の言葉の意味が、理解できるような気がします。

 

さて、この本には「2 暗闇の宝さがし」という章があり映画評が載っています。

 

氏は、その中でジョン・ヒューストン監督の1950年製作の映画「アスファルト・ジャングル」について語っています。

 

「私は、しみじみと二分間の人生ということについて思い、『生き急ぐ』ことの必要を「感じたものである。」(ポケットに名言を 寺山修司 角川文庫 平成18年 改訂6版 p.27

 

この映画を見た少年時代の氏の感慨です。

 

寺山修司氏が多方面にわたり、膨大な仕事を残して47歳で亡くなったことは読者諸氏も良くご存知のことでしょう。

 

角川文庫「ポケットに名言を」の初版が出たとき、寺山氏は41歳でした。

 

今、これを書いている入蔵は60歳。

 

日々、退歩を繰り返す入蔵と、寺山修司。

 

知らざる者と知る者の差は大きいです。

 

膨大な時間を無駄に過ごしてきたことがわかります(そして今も、こんなくだらないことを滔々と書いているのです)。

 

最近はよくこのことを考えます。

 

歯と同じですね。

 

残り少なくなると、失ったもの大切さに気付き、自責、後悔の念にさいなまれるというのは。

 

でも、まあしょうがない、残ったものを大事にして生きていきましょう。

 

では、また(^O^)