前回までのお話↓

『美しさ』x『報酬』(1)

『美しさ』x『報酬』(2)

『美しさ』x『報酬』(3)

『美しさ』x『報酬』(4)

『美しさ』x『報酬』(5)

『美しさ』x『報酬』(6)

 

 

 

 

 

 

コロナ感染を抑えられて無事に開催が決まったとして、

おそらく、一般の観客を入れての開催は無謀だろう。

 

 

開催するだけでも、感染リスクは上がる。

 

完璧な感染対策など不可能。

 

 

 

観客を入れるとなれば、

短期間に何十万もの人間が一か所に集まる。

当然、爆発的な感染拡大のリスクが一気に高まる。

 

選手関係者を出来る限り抑えようと動いてきたのに、

観客入れて人の密集度を高めるって、

矛盾している。

 

感染リスクもあるけど、

国民全員に発している、『蜜を避けよう』とは真逆な行動。

政策の矛盾。

 

すでに、

マスクを外さずに人と距離をとれるような業種や店舗まで

休業要請なのに、

プロ野球などは観客を入れている矛盾に

不満や批判の声も上がっている。


どっちにしても、

国内外からの非難はさらに大きくなる。

 

 

そうなれば、

「もう政府の要請には従えないよ!」って

不満を超えて怒りに変わることも起きてくるかもしれない。

 

現状でも休業要請に従っているのが

本当に日本人ってすごいなーと感心するぐらいで。

それだけ、政府(トップ)が示す指針というのは、

影響力があるってことでもある。

でも、

それを上回る

『世の中の動き』『世論の団結』っていうのもあるよね。

 

 

別方向の最悪な事態を想像すれば、

開催中止を訴える脅迫や、

テロ的なおかしな行動をする人間だって出てくるかもしれない。

 

 

 

チケット代の払い戻しや、

観客による経済効果を失うのは痛すぎるけど、

どう考えても、競技会場の外まで管理しきれない。

周辺の店やホテル、路上、移動線上の駅や高速のSA、

いたるところで確実に『蜜』が発生する。

コロナ感染リスクの高さが半端じゃない。

 

 

ただでさえ、選手と関係者の感染対策で手一杯。

無観客にすることで、

観客の受付や整理、誘導、警備、客席の消毒などなど、

それに伴う費用と人手と準備が要らなくなる。

感染リスクを下げると同時に、コストを下げることにもなる。

 

 

 

開催するか、ギリギリの判断であることと、

もし中止した時に、

観客を入れての開催に準備しておいたものが無駄になる、

賠償金が発生することも考えられる。

抑えられるコストは抑えたい。

 

観客数を減らしたところで、

かかるコストや人手などをペイできるほどの経済効果は見込めない。

感染拡大すれば、そっちにまたお金もかかる。

 

 

 

それ以前に、どうやって分ける?

 

どの競技をどれだけ、と振り分ける手間もかかる。

チケットはすでに販売済み。

抽選にしたって、ハズレたら不公平感や不満が出る。

 

『これから抽選で販売する』のと

『すでに持っているチケットに対して当たり外れを出す』のでは、

まったく意味が違う。

人は、『すでに手にしたものを取り上げられる』方が、

損した気分や悔しさが大きい。


旅行代理店など、まとめてチケットを持ってる企業だってある。

会社の企画や利益に関わってくる。

ツアー中止となれば、その損害は誰が負担するの?

 

 

 

「みんなでがんばろう」ってことに対して、

不公平感はヤル気や一体感を削ぐ。

発行済みのチケットすべてOKか無観客。

それがいちばん平等。

だったら中途半端に観客を入れて、

複雑な損害や余計な混乱を招く必要はない。

 

無観客がベストだろう。

 

観客は、スポンサーやオリンピックに携わった芸能人など、

関係者とその家族だけにした方がいい。

 

 

 

でも、

最初から無観客と発表してしまってよいかどうかは迷うところ。

いつ発表しても、チケット持ってる人にとってはガッカリだもんねぇ。

頑張る気、失くすよね。

 

だからこそ、『10万円の給付』でもあるのだけれど。

 

最初に発表されたら、

ガッカリしても、周りの空気で気持ちを立て直せるとも言える。

決定と同時に発表されたら、

ガッカリしても、それまでは頑張るエネルギーになるとも言える。

 

難しいところ。

 

 

 

 

 

(8)につづく。

 

 

 

 


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