父と継母と会う(29歳) | 虐待を受けて育った人のブログ

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僕は、父親と継母からの叩かれたり暴言を受け続けて育ちました。児童相談所や児童養護施設を経て、高校は働きながらなんとか卒業。社会に出たものの周りに溶け込めずに仕事もなかなか続きませんでした。そんな僕のこれまでの人生と、今について書いています。

心の中で渦巻く色々なモヤモヤや疑問。

そしてお金がないと生きていけないという事実。

なんとか仕事を続けなきゃと必死になっていたある日、

会社からある書類の提出を求められました。

 

『身元保証書』です。
親や兄弟などに書いてもらうのが一般的だと思います。僕は上司に聞きました。

僕:あの…やっぱりこれって親に書いてもらうものですよね…?

上司:当たり前だろ!ご両親は健在なんだろ?

僕:………。まぁ…そうですね。ただあまり仲良くなくて…。

上司:どんな親でも、親は親。感謝をしなきゃ駄目だぞ!きちんと会って話をしてこい!

僕:……。は…はあ。分かりました。

親との関係を話すこともできない僕は、そう答えるしかありませんでした。
”親には感謝しろ”
”親の事を悪く言ったら駄目”
”親孝行しろ”
『普通』の人達からよく言われる言葉の数々。

”またこれか…。もうウンザリなんだよ…”

心の中でいつもそう思っていました。


身元保証書を会社に提出しなきゃいけない僕は困りました。
住居の契約は保証会社を使ってなんとか乗り切れたのですが、今度ばかりはそうはいきません。

仕方ない…本当に仕方ない…会うか。
親の電話番号は知っていたので、連絡をして親に会いに行きました。
話すのも会うのも、おそらく10年ぶり位。

久しぶりに会った父と継母。胸がゾワゾワっとしました。

そして心の奥から湧き出る黒い感情。殴りたい気持ちを抑えて、簡潔に用件を伝えて

身元保証書はなんとか書いてもらうことができました。
とはいえ、書いてもらって、『ハイ、さよなら!』とはいきません。
父は色々と聞いてきました。

父:お前、今なにやってるんだ?
 

僕:……。まぁ普通に働いているよ。
 

父:今は何しようが勝手だが、お前にはいつかオレの会社を継いでもらうからな!
 

僕:は…?
 

父:今までお前は好き勝手に生きてきたんだし、いい加減に落ち着け。
 

僕:好き勝手…?あの…好き勝手なことをしてきたと思ってるの?

父:そりゃそうだろ!高校出てからフラフラ遊んでたんだろ?

だいたい児童養護施設だって沢山金がかかったんだ。、
 

僕:あのさ…本当うるさいよ…。今までどんな思いをして生きてきたと思ってんの…?

父:なに…!お前、親に向かってなんだその口の聞き方は!?

僕:あぁーーーー!もう…本当この家無理。もう二度と帰らねーわ!お前らもさっさとくたばれ!!クソ!!

そう言い放って僕は家を飛び出しました。怒りをぶつけるかの如く全力で走りました。
これまでの辛かったことが一気に溢れ出てきました。

 

小学生の頃、たまらなく人の家庭が羨ましいと思ったこと。

自殺したくてもできなかった自分自身への怒り。
中学生の頃、電話ボックスで震えながら野宿したこと。
食べる物がなくて道に落ちている食べ物を口にした時のこと。施設で嫌だったこと。
親についてを人に話せないこと。

僕は、今回会って親さえ変わってくれば…
そして今までの事も謝ってくれれば…本当はこの時に、親と和解したかったのだと思います。
親戚も全くいない僕は、本当に本当に頼れる存在がいません。
それを考えると凄く絶望的な気持ちになります。
親に頼らず一人で生きていくことの限界を感じていました。
どんな親でも…どんなクソみたいな親でも…残念ながら親は親。
認めたくないけど認めるしかない位追い込まれていたのです。全てにおいて。
 

でも、”親と和解したい”そんな思いは粉々に砕けました。
そんな甘い考えをしてしまった自分に本当に腹が立ちました。

もう絶対に…絶対に親とは会わない。この時、固く決意しました。

 

 

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