失敗とか出会いとか覚悟とか(37歳) | 虐待を受けて育った人のブログ

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僕は、父親と継母からの叩かれたり暴言を受け続けて育ちました。児童相談所や児童養護施設を経て、高校は働きながらなんとか卒業。社会に出たものの周りに溶け込めずに仕事もなかなか続きませんでした。そんな僕のこれまでの人生と、今について書いています。

積極的に、色々な場所に足を運んだ末に僕は、ある考えが生まれました。

”虐待が起きている家庭では、夫婦の仲も悪い所が多い。
虐待をなくすために大切なことは夫婦円満なんだ!”

そう意気込んだ僕は、夫婦円満の手助けができるような活動をしたいと思い
『愛嫁家プロジェクト』という活動団体を創りました。
→愛嫁家プロジェクト(Facebookページ)

当時、所属していたボランティア団体で賛同してくれる人が何人もいて、
出だしこそ愛嫁家プロジェクトは、とても盛り上がっていました。
しかし、目的はいいものの実際に何をやるかが煮詰まらず、
そして僕自身の力不足もあって、愛嫁家プロジェクトは数回のイベントを実施した後に
自然消滅に近い形で消えてしまいました。この経験は僕にとって色々と勉強になりました。

その後、あるテレビ番組から取材の依頼が初めて来ました。
連れ子の家庭環境についての特集だったそうで、僕はその取材に迷うことなく応じました。
顔出しで出る、ということを伝えると番組のディレクターさんはとても驚いていました。
本当に良いんですか?と。迷いはありません。顔を出すことは、僕にとっての覚悟です。

また、テレビとは別にマイヒストリーの会という場で生い立ちを話す機会をいただきました。
僕の生い立ちを参加者の方はとても熱心に聴いてくれました。

更に、同じ位の時期にブログ経由で長谷川美祈さんという写真家の方との出会いがありました。

→長谷川美祈さんのHP


長谷川さんは、虐待可視化を目的とした写真集を制作したいと考えていてその被写体になってくれる虐待被害者を当時探していましたが、その被写体探しが難航していた。
そんな時に、このブログを発見してメッセージを送ったとのことでした。
もちろん僕はその被写体の話を迷うことなく快諾しました。
発信の手段は色々あって良いと思っていたからです。

後に、その写真集は無事完成をして
『Internal Notebook』という名で世に出ました。

→Internal Notebook

色々な事が少しづつ動き出していたこの頃でしたが、

どんなに忙しくても、ブログで生い立ちの更新だけはコツコツと続けてきました。
自分史を初めて作った時は、断片的な記憶でしかなかった過去も
この頃はだいぶ点から線になりつつありました。

”徹底的に過去と向き合おう。そしてどんな事実も受け止めよう。”
色々な活動を通じて、そんな覚悟が固まりつつありました。
そして、まるでそれを待っていたかのようなタイミングで
ある日、一本の電話が鳴りました。

電話の相手は父です。

 

⇒これまでの生い立ち

 

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