禁断の扉①(39歳) | 虐待を受けて育った人のブログ

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僕は、父親と継母からの叩かれたり暴言を受け続けて育ちました。児童相談所や児童養護施設を経て、高校は働きながらなんとか卒業。社会に出たものの周りに溶け込めずに仕事もなかなか続きませんでした。そんな僕のこれまでの人生と、今について書いています。

2年前より被写体として協力していた写真集がこの頃に完成しました。
失敗とか出会いとか覚悟とか(37歳)
 

その写真集に被写体として協力していた2人と僕とで、

なにかできないかと考えて結成されたのが虐待体験者のグループ
『internaReberty PROJECT(インタナリバティプロジェクト)』です。

internaReberty PROJECT

そしてこの年は、僕にとって凄く大きな出来事があった年となりました。
それは、ある記者の方との出会いから始まります。
虐待体験についてを取材させて欲しいとのことだったので、

会ってお話をすることになりました。

その日もいつものように、虐待体験のについてや生き別れになった母の事や、

亡くなった弟のことをお話しました。
いつもであれば、話し終えた後にいくつかの質問に答えて取材は終わりとなるのですが、
この日は少し違う展開でした。

僕の話を聞き終えた記者の方は涙ながらにこう言いました。
『亡くなった弟さんの生きた証が何一つ残っていないのが悲しすぎます…。
そして、生き別れのお母さんは絶対に隆生さんと会いたがっていると思うんです…。』

これまでの取材で、そんなことを言われたことがなかった僕は動揺しました。
弟に関しては、写真がないならせめて死亡記録などの記録だけでも
探してみたらどうだろう?と提案されたので、それは実行することにしました。

 

お母さんは戸籍を辿って会いにいったらどうかと提案されましたが、

それはできない…と僕は断りました。
”お母さんは既に再婚をして、子どももいて幸せに暮らしている。”
これは僕が小学生だった頃からずっと父に聞かされていたことです。
新たな家庭を持ち、幸せに暮らしている母にどんな顔をして会ったらいいのでしょうか?
今さら僕が現れることで、母を困らせてしまうかもしれない。
そして母を不幸にしてしまうかもしれない。
だから僕は…母は探さない。それは小学生の頃から固く心に決めていたことでした。
寂しくて辛い時に何度か、探そうと思ったことがありましたが

そんな思いはいつも押し殺していました。

なので、母を探すことを提案されたこの時も、
『いや…母は再婚しているので今更会えません。』と言ったのですが、
絶対にそんなことはない!母親はいつまでも母親なんです。
会いに来てくれて嬉しくない訳がないんです!
少なくとも橋本さんの場合はそう言い切れます!と記者の方も引き下がりませんでした。
少し考えます。と伝えて、とりあえずその日の取材は終わりました。

”母親はいつまでも母親なんです”
家に帰ってからもその言葉が頭から離れませんでした。
本当に母は嬉しいのだろうか…今更現れたところで…。

”本当に会うべく人とは、会うべくきっかけがいつか来る”
いつの頃からか信じていたその考えに従って
これまでも、継母の母親や父と会ってきました。
結果、いずれも会ってよかったと思えました。
ばあちゃん(30~31歳)
父と会う、再び。(38歳)

母とは…今、まさに今が会うべくきっかけなのかもしれない。
会って嫌な顔をされたらそれはそれ。もう二度と会わなければいいだけの話だし、

どんな結果であっても母と会うことがまた一つの棚卸になるのかな。

そして僕は、母を探すことを決意しました。
 

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