ごきげんよう。

先日、えらいてんちょう(えらてん)のN国党首・立花孝志リア凸騒動をレポートした。
その続報として、えらてんが荒れ狂った末に活動休止を発表した件を考察したい。

えらてん立花凸の感想はこちら。

えらてんの立花孝志ごっこクソワロタ


えらてんサブチャンネルの活動休止発表動画によれば、年内はN国党や立花孝志に関連する新規活動を行なわないとのことである。
これに対する個人的意見としては、立花尊師の無様な敗北が拝めなくなるという点で残念である。その反面、これ以上の攻撃を与えると臆病者の立花党首が表舞台に顔を出さなくなり、実質的にオモチャが壊れてしまうリスクが高まる。だから、残念半分、安心半分、といったところだ。

えらいてんちょう本人による活動休止理由としては、以下のような趣旨が挙げられている。
・双極性障害の躁状態で暴れ過ぎた
・周りの人間に止められた
・自分が立花孝志になりかけていた
・立花尊師の信者を寝取りかけていた
・一般人に迷惑をかけてしまった

また、以下のツイートにも注目したい。
2つ目の引用元である『善悪の彼岸』は、かの有名な哲学者フリードリヒ・ニーチェの名作である。
この「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ」の後には、厨二病歓喜の「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」が続く。
とりあえず、怪物(立花孝志)と闘うために、えらてんも怪物に闇堕ちしかけていたという意味だろう。

ここで、えらてんがぶっ壊したメンタリストDaiGoの好きなアニメ『PSYCHO-PASS サイコパス』の話をしよう(隙あらばアニメガタリズ)。

槙島聖護(PSYCHO-PASS)に憧れるメンタリストDaiGoの心理


今回はガッツリとネタバレが入るので注意。

主人公・狡噛慎也は、大衆を扇動して犯罪を繰り返す黒幕・槙島聖護を止めるために、捨て身の覚悟を決める。
法律で人は守れないなら、俺が法の外に出るしかない
『PSYCHO-PASS サイコパス』の世界では、シビュラシステム(集合知による犯罪指数判定装置)が社会制度の根幹であり、シビュラシステムに従ってのみ合法な裁きが下される。
シビュラシステムから執行対象と判定されない免罪体質の槙島さんは、シビュラシステムの支配下で裁くことができない犯罪者である。
狡噛慎也は、槙島聖護を倒すために、シビュラシステムの干渉を受けない従来型の拳銃で正義を執行すること、すなわち犯罪者と見なされることを選択したわけだ。

また、狡噛慎也と槙島聖護との対峙の背景には、両者が本質的に似ているという要素がある。
最初のサイコパス記事でも紹介したが、再び常守朱のナレーションを引用しよう。
きっと彼らは、一目見てわかったはずだ。二人は初めて出会うより以前から、ああなる運命だったんだろう。すれ違っていたわけでもない。彼らは、誰よりも深くお互いを理解し、相手のことだけを見つめていた
互いに最高の理解者であり、それゆえにどちらかが潰れるまで戦うしかなかった。そして、結末へ……

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本題に戻ろうか。

えらいてんちょうは、立花孝志という法律で裁くことができない巨悪を倒すために(今後に立花被告は有罪となる可能性もあるが)、あえて信念に反して立花尊師の言動をトレースする戦法を採った。
えらてんは、他の誰よりも、立花孝志の理解者であった。立花党首もまた、凸騒動後唐突に両者の共通項である躁鬱病・双極性障害について語り始めた理由は、自己防衛やカバードアグレッションの可能性もあるが、えらてんの本質を理解していたからかもしれない。
それゆえ、『PSYCHO-PASS サイコパス』に重ねて論じたくなってしまった。

えらてんがN国党アンチ活動を休止する理由は、本人の言葉通りに受け止めれば、最初に挙げた通りである。しかしながら、それが真意である確証はなく、この活動休止までが計算されたスキームである可能性も否めない。
例えば、途中で立花孝志ごっこを反省して辞めることにより、N国党信者の洗脳を解除する効果が増大すると考えたのかもしれない。また、盛大に荒れ狂ってから突然に活動休止したことの余韻により、えらてん作のN国党研究本の売上が増加する可能性もある。
真相は闇の中。まさに深淵。

1つだけ確かなことは、メンタリストDaiGoは槙島聖護(サイコパス)になれなかったということである(隙あらばDIGOいじり)。

えらてんは、引用したツイートのように立花孝志を怪物に見立てた。
ネット民やYouTube視聴者は、どちらも大差ない狂人に見えたかもしれない。
双極性障害、躁鬱病、統合失調症などの精神疾患にカテゴライズされる人間を恐怖する者もいるだろう。

私が至った結論として――
特定の誰よりも、精神疾患というカテゴリよりも、
この騒動がまとっていた雰囲気、インターネット社会の高揚感こそが「名前のない怪物」と言えよう。

ああ、ドヤ顔で厨二病ポエムのごとく締めてしまった。脳内ではエンディングのイントロが流れ出している。
以上、えらてんが立花孝志凸の末に活動休止する心理を考察した。