中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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セピア色の画集;フェルトペン画;60年前の自炊生活(2)

2020年06月01日 05時09分16秒 | 趣味三昧:セピア色の画集

           セピア色の画集;フェルトペン画;60年前の自炊生活(2)

2020年6月1日(日)

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 今日からもう6月,コロナ騒ぎでアタフタしているうちに,もう今年も半年が過ぎようとしています.緊急事態宣言が解除されたとはいえ,あいかわらず新たなコロナ感染者が出ています.何時自分が罹患するか分からないという恐怖心から,あいかわらず乗り物に乗るのが怖いです.
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 さて,当ブログで,折角始めたフェルトペン画シリーズ,ちょっと懐古趣味で抹香臭いですが,折角始めたので,もう少し(10回程度かな),続けてみることにします.
 今回も前回に引き続き,台所をテーマにします.今回披露するのは冒頭の絵です.書いた年月日は正確なことは思い出せませんが,前回披露したスケッチと同じように,多分,昭和33年前半の頃だろうと思います.
 私はその頃,寝屋川市秦というところで部屋を借りて,京都まで通う学生生活をしていました.
 私は元々信州人.上方の土地勘など全くなかったので,家賃の安いところを適当に探したら,寝屋川市秦なったというだけのことで住みつきました.でも京都まで通学を始めてみると,やっぱり遠すぎるので,その後は京都の浄土寺南田町(地名間違っているかな?)というところへ引っ越しました.法然院のすぐ近くです.こちらは通学にも便利だったので卒業するまで,ずっと同じところで過ごしました.
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 話を戻します.
 寝屋川で間借りをしていた頃から,身の回りの物事を題材に,時々,いたずら書きのようなスケッチをして,信州の母のところへ送っていました.この絵もそんなスケッチの中の一枚です.今,改めてこの絵を見ると,当時の生活ぶりが垣間見えてとても懐かしいです.
 まず目を引くのがこの絵の右下の小さなお釜です.あの頃は,食糧事情もまだ良くないこともあって,賄い付きの下宿は少なく,たいていは自炊でした.私もこの絵にあるような小さなお釜を使ってご飯を炊いていました.リンゴ箱がちゃぶ台代わり.箱の中には調味料,海苔などが入った小さな入れ物が一通り揃っています.冷蔵庫など勿論ありません.壁には箒のようなものがぶら下がっているので,多分,この箒で掃除をしていたんでしょうね.
 余談ですが・・・
 当時,テレビもラジオもなかったです.もちろん電話など庶民とは縁遠いものでした.暖房なしで小さな炬燵,冷房はなしですから,今,このスケッチを見ると,随分と貧しい生活をしていたなと思えますが,その頃は全く普通の生活で,貧しいなんてちっとも感じなかったし,不便とも思いませんでした.日常生活なんて,まあこんな物でした.
 年を取ってから,つくづく良かったなと思うことの一つに,食事を作ったり後片付けをするのが全く苦にならないことです.これも若い頃何年も自炊生活をしていたおかげだなと思います.
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 また話題を戻します.
 下の写真は,この絵に裏側に書いてある文章です.故郷の母へ送ったメッセージです.やっぱり遠い国で独り生活をしていると,母が恋しかったのかなと想像されます.
 「台所,台は大きなリンゴ箱.その中が戸棚.左のカンはノリが入っています.
 そして,その右は二,三日毎にすこしずつ買ってくる四○円の漬け物入れです.その上の小さなカンには,コンブ茶が入っています.茶碗の右は阪急で買った新潟の田舎味噌が少し入っています,すってない味噌には豆かすがそのまゝ半分になったり細かくかけたりそのまま入っています.葱を大きく切って油揚を二,三枚,無造作に切って,この味噌でサッパリと作った味噌汁は又格別です.寒い朝,葱の香のツンするやける様な味噌汁をを急いで喰べて行くと体中が暖まる様です.
 味噌のわきにころんでいるのは小梅漬.夜半お湯を沸かしてつめたい固い飯にたっぷりかけて小梅漬でサラサラとかき込むと大抵は十二時を廻っています.
 この他に湯沸かし緑茶用のヤカンと,紅茶用のヤカン,それに黒色の変わった茶わんと大きなコップがありますが,炬燵の上にのみ放しのまゝ散らかっています.」
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  今になって,この文章を見るとなんとまあ古くさい文章だなと思いますが,当時の学生生活が忍ばれます.
 当時の学生は持ち物もとても少なかったです.布団は上下1組と毛布だけ,衣類などは小さな入れ物(こおり)1個,本がリンゴ箱1箱だけ.普通のリアカーに楽々詰める程度しかありませんでした.
 引っ越しとなると,これらの荷物を三つ四つの荷物にまとめてチッキという鉄道便で近くの駅まで送り,そこからリアカーを借りて,新居まで引っ張って運びました.

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