3年前の投稿で、 “私が日本に住まない理由” について少し触れたことがある。その時第一の理由として私は(日本が) “窮屈であること” を挙げている。意外にもこの投稿にはいくつかのコメントもいただき、中にはかなりネガティブなリスポンスもあり、なかなか興味深いトピックの一つであるようだ。今回もう一度振り返り、他の理由についても考えてみた。

 

“日本に住まない理由”としてとらえると、どうしても否定的な見解になりやすい。むしろ何故アメリカに住もうと思うのかという角度から話してみるとにしようと思う。

 

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まず、アメリカではいろんな意味でチャンスが多いと思う。もちろん、人種や経済的地位、又は年齢や性別などによって差別がないわけではないが、一般的に、決めた目標に向けて突き進もうと思った時、日本と比べ障害物となるものが少ないような気がする。中でも、周囲の目を気にすることなく自分の決めたことに没頭できる、というのは大きなプラスだと思う。リミットは周りではなく自分で決める、そしてどこまで自己リミットを押し上げれることが出来るのか挑戦する。こういった姿勢に対し、アメリカ社会は一般的に割と寛容だ。また、アメリカは人種も様々、多様なバックグランドを持った人たちの集まりで成り立つ社会。それだけに、ダイナミックな環境の中で到来するチャンスもまた、多様であることがおわかりいただけるだろう。転職にしても学業にしても、年齢や性別に関係なく前向きに頑張ってる人が多い。投資に関してもなかなか意識が高く、株式、不動産、ビジネス運用に限らず、資産を増やすために一般人が積極的に取り組む姿勢が強い様に思える。それはそうすることのできる環境があるからではないだろうか。実際私自身もこの20数年の間で築いたものは、たぶんシアトルにいたからできたんだと思う。

 

シアトルだから(?)

アメリカといっても広く、地域によって環境は様々だ。まだスタバやアマゾンがさほどメジャーじゃなかった90sにここへ移り住んだことがキーとなっていることは事実。タイミングがいかに大事かという事になる。ラッキーだったと言ってしまえばそれまでだが、だからこそ人生は面白い。

 

移住先を決める際、何故シアトルを選んだのかはとっても単純な理由だった。旦那のDがカリフォルニアにだけには絶対住みたくないと強く主張。東海岸全体は日本から遠い。どうしても海の近くに住みたいという意見は二人とも一致。南部はちょっときついかなってことで、消去法の結果、西海岸のワシントン州とオレゴン州の二つしか候補に挙がらなかった。オレゴン州のポートランドも検討したが、海沿いではないので没。Dも私も、当時友達が一人ずつシアトルに住んでいたこともあり、あっさりシアトルに決定となった。今となっては、シアトル以外の街で人生を送っていたかもしれないなどと想像もつかない。シアトル移住は、その後の私たち二人の人生を大きく左右する、たぶん人生で一番需要な決断の一つであったと言える。シアトルという場所は私たちにとても良くしてくれたっていうか。もし別の街で暮らしていたら、アメリカに住もうと思う理由もまた少し違ったものだったかもしれない。

 

自分らしく

”アメリカにいて助かったこと“ と題した投稿でも以前少しだけ触れたが、”~らしく“ という枠づけが少ないように思われる。男らしく、女らしく、大人らしく、子供らしく、上司らしく、部下らしく、年齢らしく。。。などなど。日本では一般的な”枠“がいろんな分野で存在している。そしてこの枠からはみ出すと叩かれやすい。でもその反面、時には枠から外れることが逆に興味を引き、絶大的な支持を得ることがあるのも事実だ。近年では日本もこの従来の枠から離れ、個々の道を進む人に対して風当たりが弱まりつつあるよう。ちょっとホットする。self-love-3969644_1920

 

日本は一般的に見て、道徳精神のとても高い国だと感じている。日本国内では昔に比べ、ここ数十年ほどでの犯罪の増加や、道徳心の低下などを問われることもあるようだが、やはり日本を外から見る者としては、礼儀良識ある日本人の国民性は指摘しないではいられない。基本的に(良い意味で)真面目、そしてズルさがない。(これまた良い意味で)謙虚でなにかと丁寧。でも日本国外では、これらの良い部分が逆手に取られ利用されてしまうことも少なくはなさそうだ。なにせアメリカではガンガン押してくる人が多いから。それに対抗するにあったって、アメリカにいる日本人は少々図々しいくらいの方がやっていきやすい、と言い訳させていただこう。話はそれたが、詰まる所、多少の違いで思い詰めたり、いちいち周りの目を気にしている場合ではないのだ。自分をどんどん出していかいかないことには周りに飲み込まれてしまう、そんな風に感じることもある。そんな状況を自分にとって自分らしく生きるチャンスとみなすか、それとも不利なものとするかは人それぞれだ。私にはたまたま、アメリカで暮らすことの方があっていたのかもしれない。

 

 

 

りぷり

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