寝入りばなに気が付いたことがある。
気が付いてはいたのだが・・・明確に気が付いた。
一生懸命働いたり、価値が有るとかないとか、役に立たねばとか、そういうのは全て幻想。
騙されていたんだ!!
と、最初驚きと、そして怒りが湧いた。
誰かが作った物差しを手渡され、その物差しが、あたかも自分であるように思い込んでいた。
それはこの社会構造的な部分で、歯車として働いてもらうには都合の良い物差しだった。
でも、それで縛り付けるのはひどいじゃないか・・・・。
搾取するために物差しを利用する場合もあるし、そうでもない場合もあるけど。
価値がないから愛されない
そういう人工的に作った物差しと何ら関係のないものをイコールにするのが、騙されたと思った本当に所だ。
チキショウ、壮大なだましにあってたんだ!!
学校や、この生きてきた環境全てで、それを自分自身の考えだと刷り込まれるわけでして。
自然とその考えが正しい正常なものだと思いこむのですね。
それが誰かが作った物差しとは、わからないわけです。
誰かの作った、物差しなんていらないよ
むしろ、物差しなんていらないよ
投げ捨ててしまうえ!
役に立つとか、価値が有るという、その「ものさし」もホオリ投げろ
投げ捨ててしまえ!
それは、まやかしだ。
自分のものだと思っているものや、自分のものさしだと思っているものも・・・
投げ捨てろ。
それは、「物差し」という「価値」「基準」自体がまやかしだからだ。
愛や生存とそれらを結びつけるものは、皆まやかしだ。
そうやって本能を揺さぶり、コントロールするためにあるモノ・・・常識という名の価値・・・基準・・・社会という名の目、物差し・・・・
全ては誰かの作った基準であり、誰かの都合であり、本当のそれを隠すものであり、利用するものであり、
それは、「仮初の価値」であり「まやかし」なのだ。
チキショウ
で、喜び勇んでテンションが高いママ、ママンに話してみたら伝わっているようで微妙に伝わらなかった。
何かを突破した所からじゃないと分からないものらしい・・・