承認欲求

隣の奴はうたた寝してやる気がない。小さい奴は違い奴の曖昧な言うことを聞いて、聞きにこなくなったし。

イラつく。やる気がない。

 

と、ブチクサ毒付いていた。

 

あ、褒め称えられたいんだ。

うえだ、凄いんだと、マウントを取っていたいんだ。

私にも、うえだ下だと言う上下関係に拘る所があったんだ。。。

 

 

 

私の人生に集中する

霊性を上げるのを軸とし、ライフワークにする

には、関係ない世界の基準なのに。

 

あ、先生は人生をかけて一生懸命つたえたんだ。

体現もしたし。

どう解釈し、実行するかもしれませんがは、私たち自身の問題なんだ。

先生でさえ誤解されたんだ。

誤解される事も、それも、あるんだな。

私が初めて、誤解されるなんて当たり前じゃん。

あの、先生でさえ、そうだったんだから!

なーんだ!起にすることは無かったんだ!

 

 

 

んー何故上になりたいんだ?

仕事も給与もそうだろ?

30万が木になるのだって、そだろ。

あれはライフワーク的にはだって結露でたのに、何者かになろうとしている。

うえだ下だと。。

認められたいのか。

承認欲求。

誰に?

「ママ、パパに認められたい」

ママンだ!

褒められたいんだ、良しよし、良くやったね、偉いよって。

 

ああ。

 

ママンがいなくとも、ママンが認めなくても、

私が認めてやる!私が、私を認めたる!

ただ、認めたる!

 

(ただ、何の条件もなく、外の意見もなく、

ただ、無条件に、

そういやぁ、外、ママン、会社とかが認められてない、認めてくれないから、私もみとめんって。

 

なんかの条件付けで、外からの意見で、自分を認めるかを判断していたんだ。

他所様の意見への依存っうの?

おもねってただけだな。

自分で考えちゃいなかった!

 

そして、厳しくやって、自分を追い込んで、自滅してとなぁ。

 

外を軸にしてたら、そうなるよ、、犠牲に。)

 

 

ああ、何かとても暖かくて嬉しい。

嬉しさというか幸せが心にこみ上げた。

 

ふと、無性の愛を思い出した。

条件の無い、

ただ、愛している

ただ、愛されている

 

ママンに、誰かに、認められたかった。

でも、もしかしたら、いや、、

私自身に、ただ、認められたかったんだ。

ママンがこう言うから、愛さない、愛されない、ではなく。

私自身に、認められたかった。

私自身に、愛されたかったんだ!

ただ、無条件で、

ただ、無条件で、愛されたかった

私自身に。

 

あー、

ただ、自分自身に認められたかったんだ。

 

そして、

ただ、愛されたかったんだ。

自分自身に。

ならば、何の条件ずけもなく、無条件に

ただ、愛そう。

 

ただ、いつくしもう。

自分も。まわりも。

 

まずは

ただ、自分を愛すること

から始めよう。

 

愛が欲しいと外に求めてたけど、

認められたいと、外に承認欲求を求めてたけど、

承認欲求とは自分自身に対しての要求だったんだ。

自分自身に承認してほしかったんだ。

 

なんだ、ただ、なんの屈託もなく

ただ、愛せば良いんだ。

ただ、愛そう

ただ、条件もなく、ただ、愛してよいんだ。

自分を。

 

 

自律(自立)から、無条件の愛の形を学

を、思い出した。

 

この学びの答は、自分を愛する事、だったんだ。