特別なRB10

昭和の東武バス野田の思い出や東京北東部周辺の乗りバスの記録等。小学生時代に野田市内バス全線走破。東武系・京成系を特に好む

柏03とキレた運転士

2019年04月02日 12時03分02秒 | 旅行

春の令月にして気淑く風和ぎ梅は鏡前の粉を披き蘭は珮後の香を薫すこの頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

あれは春の令月ではなく、小学6年生の夏休みのことでした。
夏休みが始まったばかりで7月下旬のある平日のことであったろうと思います。
いつものように「友達のとこへいく」などと適当なことを親に伝えると 自宅最寄のバス停を9時50分過ぎに出る野07野田市駅行きに乗りました。

そのバス停にはあまり早く行かないようにしていました。
なぜなら通りすがりの同級生なんかと出会おうものなら「おう、どっか行くのか?」なんて尋ねられて面倒くさい会話しなければならないし、
万が一近所の人に目撃されたら「ちょっと奥さん、あんたんちの〇〇君、一人でバスに乗ってったわよ」などと 井戸端会議でばらされ、
暇があれば乗りバスにかまけているという日頃の悪行が明るみに出る恐れがあったからです。



野07は当時ちらりほらりと乗客がいましたが、大抵はヨーカドーのある愛宕神社か愛宕駅で降りてしまうのが常で 終点野田市駅で降りるのはいつもわたくし一人でした。
降車場で降りると目の前の 1番のりばから10時30分前後に出る柏03 柏駅西口行きのバスを待ちました。
「今日は柏03に乗ろう」と決めた日はしばしばこのタイムスケジュールで動いておりました。
柏行きは以前お話しした如く起点の1番のりばを出ると10分ほどでまた4番乗り場、別名「野田車庫」に戻ってくるという循環線まがいの不思議なルートをなしていて
しかも4番から乗ったほうが運賃が安いので1番で柏ゆきを待っているのはこれもやはりいつ来てもわたくし一人だけでした。


方向幕の大型化の波がいよいよ本格的に野田出張所にも訪れつつある頃でしたが
やってきた柏行きは昔ながらの古めかしい幅狭の方向幕で、
ただでさえ面積が狭小なところへ 無理やり柏の高島屋の長方形の青いロゴが右端にプリントされておりました。

運転士さんは小5のときは一度も見たことがなく、小6になってから北01とか野03 野田市駅~越谷駅線とかで2,3度見かけたことがある人で、
歳は35くらい、色白のまん丸い肉まんみたいな顔で一見若そうに見えるが頭髪は薄く、
車中で大人に話しかけられると敬語ではあるけれども妙にたどたどしく話す人で、
子供のわたくしにも降りるときに「ありがとうございました」とマニュアルどおりの言葉掛けするという風で、
なんというか、接客というものに慣れていない人のように見えました。
野田市内の中野台にある魚藤スーパーという店に親と買い物にいったとき店内で私服で買い物しているのを見かけたことがあり、野田に住んでる人なんだな、と思いました。



「いつものように柏に着いたらそごうでガンプラ買って帰ろ、ブラウブロまた売り切れてるかな」などと思案しながら
目に飛び込んでくる車外の眺めはいつもと変わらず
大殿井・・・大利根温泉・・・水堰橋・・・船戸入口・・シャアズゴにどてっ腹ぶち抜かれたジムみたいにひん曲がった薄オレンジ色したいくつもの東武のバス停、
油じみて滑り止めの砂粒がそこかしこに散らばって黒光りしている木板張りの床、素肌にチクチクする毛羽立って緑色した座席のフェルト地、
「ワンマンバスご利用のさいは小銭のご用意をお願いいたします。お降りのさいは車内前方にある運賃表示とお手持ちの整理券番号とを照らし合わせ、
運転手席横の運賃箱へ運賃と整理券をお入れ願います。 なお整理券を折り曲げたり紛失したりいたしますと始発地からの運賃をいただく場合がございますのでご注意願います。」
という異様に早口のテープ案内が六軒町~船戸木戸間で流れるのもいつもの通りでした。




当時の柏03は以前お話しした花野井神社あたりから乗客が急増していきました。
今も昔も「花野井」がつくバス停は「花野井木戸」「花野井神社」「花野井入口」と黒い三連星よろしく3連続で存在し、その全部にバス待ちの姿が複数ありました。
このように人が増えてくると聞きたくもない他人のぺちゃくっちゃお喋りも聞こえてきていささか神経もとげとげしくなってまいります。



バスはぐったりするほど渋滞中の国道6号に入り終点柏駅西口へいよいよとなりました。
その間、前面ガラスのすぐ上にある運賃表示器の幕も下から上へ何度も巻き上がり「⑱ 柏 駅 西 口」となっていました。
東武バスは小6の時に運賃値上げをして野田市駅~柏駅西口まで完全フル乗車で大人440円でした。小児なら220円。
もし今も残存していれば大人1000円弱ほどになっていたでしょう。

小5の頃は390円で100円玉2枚で済みましたが回数券の10円券がやたら余ってしょうがないので10円券20枚を見やすいように3,4枚ごとに小分けして運賃箱に投入したことがあります。
野07 野田市駅~流山駅前は280円(大人)、境営業所が担当していた北越谷駅~岩井車庫間は500円(大人)で小6のときにそれぞれ値上げされました。




塗装の色は今とは大分異なれどかつての柏03もこのあけぼの町交差点を左折して柏高島屋の前の降車場へ向かいました。



現在と異なりこの道は国道6号から駅前に向かう一方通行路になっていました。
では交通がスムーズだったかというとそうではありません。今よりもはるかに道幅が狭かったように覚えてますがどうでしょうか。
降車場手前には高島屋のタワー駐車場があって路線バスの不倶戴天の仇敵、マイカーが平日だというのに駐車場待ちで左側にずらーと並んでいました。
さきの左折角のところに行列のうちの一台、
シルバー色の躯体のフェンダーミラーがついてサイドに黒いラインが一本見える白いセダンが止まっていてバスは曲がり切れません。
そのようなことも全く「いつも」のことでちょっと待てば前の方の車の行列が進んで角の車もやや進んでスペースが広がり
バスが突入できるようになるので大抵はじっとそこで待つのが常でした。
ところがあの日乗ったバスの運転士さんは違いました。

前扉をその車の横に近づけるとギュっと急ブレーキを踏みキキっと前扉をあけ運転席に座ったまま顔を車に向けて「オイ・・・オーイっ」と叫びました。
車内前半分の乗客は突然の異変におののき喋っていた人も黙り込んでしまいました。

「開けてくれよー、なあぁ、開けてくれよー、こっちは遊びできてんじゃねえんだからよぉー、」
同じようなセリフをもう一度言ったと思います。それは咆哮とか絶叫と呼ぶにふさわしいものでした。
運転士さんは明らかにキレておりました。
口を動かすたびに目が吊り上がり眉間に深いしわが刻み込まれ、流れ星のようにピッピッと放たれるつばきがオタク席から見えました。
この人はおっかなびっくり仕事をする大人なんだろう、というわたくしの人物評は吹き飛びました。

後方から人の喋る声が聞こえてましたが名状しがたい気配が伝わってとうとう後部席の客も黙ってしまい
車内は直6エンジンのプーリーかベルトが奏でるガラガラ音だけが聞こえる静寂となりました。

当時は冷房のついた一般車などそうそうありませんから怒りの矛先となった車は窓を開けていました。
運転席にはタバコを咥えたおじさんが乗っていて、顔をいっさいバス側に向けませんでしたが、わりぃわりぃというように1回だけ右手を前後に振るとそれっきりでした。
後部にも小学3年くらいの子供が乗っていて、この大きく青い車から怒声が聞こえてくるのはなぜだろう、といった様子でバスを見上げていました。

運転士さんはさらに7,8秒、もしかすると15秒くらいぎぃーっと車を睨みつけていましたが、「ちぇっ」と舌打ちした後、
後ろの客連中をひと睨みすると扉を閉めて再びバスを動かしました。

この間、斜め前方の運転士の怒気に満ちた顔と眼下に見える恐怖が表出しはじめた子供の顔とを見比べながらわたくしは、「殴り合いの喧嘩になるかな」と
不謹慎ながらワクワクしておりました。
なぜそんな不謹慎な思いであったかというと「自分は第三者であるから殴られることはない」と思ったからです。
では当事者であったらどうか、それは乗りバスが親バレしてでも周囲の大人に助けてくれと懇願したでありましょう、
ましてや寝ようと寝室に入ろうとしたら腕力の強い男の大人に風呂場に連れていかれ自分の糞便を右手に持たされてスマホで撮られたあげく
冷水を浴びせられる苦界ともなれば野田市教育委員会や柏児童相談所に助けを求めたでありましょう。
そして絶対助けてくれると確信するでありましょう。
しかし誰も助けなかった、
秘密を守ると嘘をついた教育委員会のおひざ元から一時保護を解除したことを記憶がないと言った児童相談所のおひざ元へと向かうバスのオタク席から
子供の怖がる顔を睥睨していたわたくしのように。

わたくしが路線バスにかまけるようになったのは小学5年生のときでした。
かたや彼女は5年生までもう少しというところで生涯を終えた。
同じ野田市立山崎小の学童であった者が5年生6年生の記憶を面白おかしく語るさまを彼女はどういう気持ちで見るのか。
栗原心愛さんの尊い命を奪う野田市に根付く禍々しい風土を許したわたくしはもはや第三者ではありますまい。



大人たちの自己満足で課されたあおいそら運動の作文も、ごみ袋に名前を書かせる奇習の全てが野田には要らない。
ただ暴力を振るわない父親と温かい食事を与える母親と停職6か月で幕引きを企てる人間のクズを町の支配者に祀り上げない市民意識があればよい。
わたくしは「平成はいい時代だった」という人の気持ちが未だに理解できないまま令和を迎えようとしています。


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