まずは父の死ぬまで
このブログを
もぅ、誰も見ていないだろうなぁ
最終書き込みが2021年1月か。
と思うけど
とりあえず記録はしておこうと。
おはこんばんちわ雫です
('ω')
ともかく
明けてます おめでとうございます?
(おめでたくない方もおられるだろう)
雫は
なんだかんだありました
2023年。
父ちゃんの死
心友の死
知り合いの(と、しておこう)病気
友達の難病発覚
まま
悪い報告はここまで。
よい報告
何より
初の甥誕生
友達の寛解
知り合いの社員雇用
友達の結婚
新しい主治医との出会い
数年ぶりのF氏からのプレゼント
思い出すのはこんな所かな。
気分で
ゆるく書こうと思ってはいます
ホントに雫的には
頭も、心的にも忙しい一年でありました。
まずは
オトンの事。
完結に。
ある日
母が起きると
父が寝ている部屋から
どったんばったん聞こえた。
母が見に行くと
父は
ふすまを蹴り破り
布団はぐちゃぐちゃ
箪笥や部屋のあちこちに○○〇散乱
暴れまわったであろう痕跡
母がどうしたん!?父ちゃん!?
問いかけても
聞きとれない
呂律が回っていないのだ。
何を話してるのかもは聞き取れない
とりあえずは
救急車!
母が電話に向かった所で
救急に電話をかけると分かったのか
絞りだした声で
父「やめてくれへえええ‼」
お構いなしに電話をかける母
あの年代の人は
救急車を呼ぶと言うのは
すごく嫌がる
雫は、てんかんで何回も経験済み。
両親には何度呼ばれた事か...
暫くして救急車到着
近くの救急搬送可能な病院へ。
父は
脳梗塞だった。
祖母も脳梗塞から併発してからのなんだかんだ
だったので
こういうのは遺伝するのかな。
(個人的に調べた結果
脳梗塞の発症には家族歴が大きく関わります。
親や兄弟姉妹に脳梗塞の発症者がいる場合
いない場合と比較して
2〜4倍も脳梗塞の発症リスクは上昇する
と言われています。
また原因となる遺伝子の一部も特定されています)
父は(糖尿併発で)心臓も悪かった
それからの
心筋梗塞。
時々
父「とーちゃんの脈触ってみ?」
不整脈
「な?父ちゃん時々死んでんねん笑」
そんな事も話してあの頃二人で笑ってた。
そのあと
病院で長く長く時間をかけてリハビリをして
いったん自宅へ帰る事に。
久しぶりに雫も
実家に帰ってみた
父の為に
玄関を少し改造してあった
車椅子のまま部屋に上がれるようにしてあり
レンタル車椅子と
介護ベッドも。
父は昔の姿も思考も態度なども
変わっていた
世で言う
骨川筋衛門(ほねかわすじえもん)である
病室で、片腕で書いただろう
「ぼんさい.さんぽ.たべる」
カレンダーの裏紙にマジックで太く書かれていた
父「とーちゃん!これすんねん!」
そうか
楽しみやな。
そう話してる時
母が
「お茶飲むかー?」
と聞いてきた。
父「のむ!おた(茶)!おたのむ!おたおたおた!」
マメにお見舞い
(コロ助の時だったので中々
室内には入れなかったらしいが)
に行っていた母は
慣れているのか
母「はい!はい!待ってよ!」
その間も
「おたおたおたおた!」
と止まらない父の声
正直 雫は
(あーあ。)
としか思ってなかった
母が(マイペースで)
お茶を持ってきたからと言って
すぐに飲みだすのでもなく
猫背で湯呑に口付け
ゆっくりゆっくり飲んでた。
そのあと少し話して
母が
「カステラ食べるか?」
と雫に言ってきた
父「カステラ!カステラたべる!
カステラ!カステラ!カステラ!カステラ!」
カステラが小さく切って出てくるまでエンドレスだった
雫と母でカステラと緑茶をのみながら
何となく談笑していると
何とか口を動かし
呂律交じりに父は
会話に入ってくる。
雫的には
(頑張って話すのもリハビリかなー)
とも思っていたけど
母「おとーちゃんw喋れてないやん笑」
そう母が言い終わらないうちに
父が食べかけのカステラを
母に投げつけた
雫は
なんと言えばよいのか
驚愕 という感じ。
父は
食べ物を投げつけるような人ではなかった
あの 父が。
そのあと父はずっとプンスコで
母は変わらず
「やめてよー笑」
とか言っている
母を観察してみたけど
本気で
ただ 笑っている。
母は
父が自宅に帰ってきた事が
純粋に嬉しいのか...
雫的には
ショックだったが。
雫「帰るわ。」
父「おう!また来いよ!」
その後
父は心筋梗塞で病院生活に戻り
最終的には
誤嚥性肺炎で
亡くなって
無くなった
雫は、最初の入院から
お通夜で棺桶であうまで
一度も
病院へお見舞いには
行かなかった。