古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

宮崎神宮(宮崎実地踏査の旅 No.6)

2018年08月17日 | 実地踏査・古代史旅
 2018年7月20日、宮崎実地踏査の旅の最終目的地は宮崎市神宮にある宮崎神宮です。すぐ近くに宮崎県総合博物館や宮崎県埋蔵文化財センターがあるので時間があれば行く予定にしていたのですが、時刻はすでに17時少し前で、いずれも閉館間際だったのであきらめました。

 宮崎神宮の主祭神は神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこのすめらのみこと)で相殿神として鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)と玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祀っています。神日本磐余彦天は初代天皇である神武天皇のことで、相殿神の二柱は神武の両親にあたります。社伝によれば、神武天皇の孫にあたる健磐龍命(たけいわたつのみこと)が九州の長官に就任した際、祖父の遺徳を称えるために鎮祭したのが始まりと伝えられています。健磐龍命は熊本の阿蘇神社の祭神です。
 由緒ありそうな神社ですが、この神社が全国的な崇敬神社に成長したのは明治以降のようです。明治維新において「諸事神武創業ノ始二基ツキ」というスローガンのもとで日本国の原点を再確認することから始められたことから、神武天皇を祀ったこの神社が一躍脚光を浴びることとなって、官幣大社へ昇格するとともに宮崎神宮と改称されることになったそうです。

二の鳥居。


参道。


三の鳥居。


由緒。


神門。





社殿近くの境内には昭和天皇をはじめとする多くの皇族が植樹された木々が茂っていました。一番下の写真には奥の拝殿に鏡が小さく写っていますが、こんなに遠い距離なのに拝礼する自分の姿が映し出されているのが見えました。

右側に小さなテーブルとふたつのイスが置かれています。ここで300円を寄進して記帳をするのですが、ボールペンのインクが切れていたので記帳ができず、社務所まで戻ってその旨を伝えると代わりのペンをくれたのですが、申し訳ないですのひと言もなく、少し不愉快な思いをしました。

古代船「おきよ丸」

神武天皇は船団を組んで日向を出発して大和を目指しました。その東征に利用したと考えられる船を再現したものですが、これがなんと西都原古墳群から出土した舟形埴輪をモデルにしているそうです。駐車場わきに常時展示され、神武大祭の御神幸行列を先導する役割りを担っているとのことです。

 立派な神社で天皇家の崇敬が高いことはわかったのですが、残念ながら歴史や由緒を感じることができませんでした。それでも、丸一日かけて天皇家の祖先一族の故郷と考える日向でゆかりの各地を巡った締め括りとして相応しい場所であったのかもわかりません。朝8時にスタートした宮崎実地踏査の旅は17時半にこの宮崎神宮で終了です。レンタカーを宮崎空港で返却し、ランチを抜いて空っぽになったお腹を宮崎の地ビールと鶏天そばで満たしながら出発時刻までひとりで余韻に浸りました。そして次に宮崎に来る機会があれば何としても鵜戸神宮へ行かねば、と心に誓いました。



 以上、6回にわたる宮崎実地踏査の旅のレポートを終わります。

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