「柔道の父」「日本の体育の父」と呼ばれ、また大河ドラマ「いだてん」においても重要な役どころで登場する嘉納治五郎。そんな彼の実家はどのような所なのか、どのような土地で生まれ育ったのかについてご存知の方は、決して多くはないと思います。

今回は、嘉納治五郎の実家や出身地、また灘高校との関わりについて調べてみました。

スポンサードリンク

嘉納治五郎の実家は江戸時代から続く名家だった。


嘉納治五郎の実家である嘉納家は、現在の兵庫県神戸市灘区にある「御影(みかげ)」という地域で、1660年から酒造業を営んできた由緒ある名家です。嘉納家のもともとの本業は材木屋だったのですが、少しずつ酒造りに力を入れるようになり、およそ1世紀後の1770年頃には酒造りを専業として扱うようになりました。

この30年程前の1743年に、嘉納家は2つに分かれています。このうち本家は「本嘉納家」と呼ばれ、現在も「菊正宗酒造」という社名で存続しています。一方の分家は「白嘉納家」と言い、こちらも現在は「白鶴酒造」という社名で営業を続けています。

このうち、嘉納治五郎のルーツは、本嘉納家から分かれた「浜東嘉納家」にあると言われています。治五郎の祖父である嘉納治作は、酒造りの他に廻船業の世界でも名が知られた存在でした。

この嘉納治作の廻船業を発展させたのが、治五郎の父である嘉納治郎作です。この嘉納治作ですが、幕臣時代の勝海舟のもとで、神戸市にある和田岬砲台の建設を請け負った事績が残されています。明治政府にも海軍の書記官を務めると共に、息子・治五郎の教育にも力を尽くした事でも知られています。

スポンサードリンク

嘉納治五郎の出身地である御影および灘五郷について


嘉納治五郎の出身地は、摂津国(現在の大阪府北部と兵庫県南東部)にある御影村という地域です。この地域は現在、神戸市東灘区御影町という名称へと変わています。

この御影村は、江戸時代から盛んに酒造りが行われており、日本酒の名産地として栄えてきました。上記で解説した本嘉納や白嘉納はもちろん、剣菱、神戸酒心館、泉酒造、安福又四郎商店、高島酒類食品といった多種多様な造り酒屋が、現在に至るまで営業を続けている事で知られています。

日本酒の名産地として知られたのは御影だけではありません。以下の5つの地域は「灘五郷」と呼ばれ、鎌倉時代から日本有数の酒処として知られた地域でした。

・西郷(灘区)
・御影郷(東灘区)
・魚崎郷(東灘区)
・西宮郷(西宮市)
・今津郷(西宮市)


これらの地域では、 日本酒造りに欠かせない「山田錦」という酒米と「宮水」という水が使用できるため、酒造業者にとっては商売が行いやすい地域でした。また、製造した日本酒を港を通して全国各地に輸送できた面も見逃せないポイントです。

スポンサードリンク

嘉納治五郎は灘中学校・高等学校の顧問だった!?


日本屈指の進学校として知られる灘高校。現在の神戸市東灘区にあるこの学校の創立には、嘉納治五郎、そして嘉納家が大きく関わっていました。

灘高校が旧制灘中学校として設立されたのは1928年。当時の本嘉納家の当主であった嘉納治郎右衛門、白嘉納家の当主嘉納治兵衛、そして灘五郷の1つ、魚崎郷を拠点としていた櫻正宗の当主、山邑太左衛門(やまむら たざえもん)の3名が創立者と位置づけられています。

そして、彼らが顧問として招いたのが嘉納治五郎でした。当時の嘉納は67歳。これまで旧制第五高等中学校(現在の熊本大学)の校長をはじめ、学習院の教頭、筑波大学の校長などを務めており、柔道家だけでなく教育者としても輝かしいキャリアを持っていました。

嘉納治五郎は灘中の初代校長に、弟子の眞田範衞(さなだ のりえ)を就任させます。眞田は灘中の教育方針を定め、1946年になくなるまでおよそ20年程、校長として同校の発展に尽力しました。校歌の作詞を担当した事でも知られています。

灘中学校・高等学校の校是となった「精力善用」「自他共栄」は、嘉納治五郎が柔道の精神として提唱した言葉としても知られています。現在は進学校として有名なこの学校ですが、戦前は柔道部や野球部の活躍が知られていていました。
また、現在に至るまで体育の時間とは別に、柔道が必修科目として位置づけられています。嘉納治五郎の理念が、今に至るまで生き続けている証だと言えるでしょう。

※参考:嘉納治五郎の父親や妻はどんな人?子孫の有無も解説

まとめ


嘉納治五郎の実家やその出身地、灘高校との関わりについてご紹介しました。

「菊正宗」「白鶴」といった清酒で知られる嘉納家の分家として兵庫県で生まれた嘉納治五郎。幼少期をこの地で過ごした治五郎ですが、明治政府に出仕した父に従って上京した後は、後の灘高校の設立に携わった事はあるものの、出身地である灘への深い関わりが特段あった訳ではない事が伺えます。

大河ドラマ「いだてん」の放送によって、嘉納治五郎の事績がクローズアップされる事があるかもしれません。こうした動きが進む事で、嘉納治五郎の実家である嘉納家や、出身地である灘との関わりの詳細が、より明らかになるかもしれませんね。