「学校教育が合わない」というマイノリティがいます。このマイノリティの立場はまったく理解されず、むしろ迫害されてきました。

 私も、学校教育が合いませんでした。学校に行く以外の選択肢はありませんでしたから、行っていましたが、学校が嫌でたまりませんでした。成績も良かったし、友達もいたのです。でもそれは、逃げようがないから明るくしていただけです。もし、親が「学校には行かなくてもいいよ」とチラリとでも言ったら、万歳を三唱して、たちまち翌日から行かなくなったと思います。

 私は戦後ベビーブームの世代です。私が若い頃に比べて、マイノリティの保護は、格段に進みました。駅には、車椅子の人のためのスロープやエレベーターがあり、ホームに視覚障害者のためのタイルが埋め込まれています。最近では、LGBTもマイノリティとして扱われるようになってきました。しかし、「学校教育が合わない」は、本人と家庭の努力不足の問題として捉えられています。

 結果として、1%を超える不登校の子どもたちがいます。学校に無理して行っているだけの子どもはその数倍はいるでしょう。

 どのような教育方法であっても、すべての子どもに合っていると主張するのは無理です。ましてや、教育は人間がやっていることですので、お互いの相性というものがあります。

「学校教育が合わない」ことも当然あることなんだと認識して、マイノリティとして立場を尊重すべきです。

 

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