不登校の子どもたちは、『制度公害』の被害者であると思います。制度が不備なために、自分に合った教育に出会うことができず、大きな苦しみをなめているのです。

 

 日本の今の学校は、サラリーマン養成所のようなものだと思います。ミスをしないことと、評価におののくことを、叩き込まれます。標語だらけの教室、頑張る頑張るの大合唱。あの教育しかないというのであれば、教育を受けられない子どもがたくさん生じてしまいます。もちろん、学校に喜んで行っている子どもはたくさんいますが、そうでない子どももいます。

 

 今の学校教育しか義務教育と認めないから、路頭に迷う親子がたくさん生じているのです。

 

 民主主義が発達した国なら、子どもが学校に合わなければ、その子に合った教育が生まれてきます。ところが日本にはその仕組みがないのです。

 例えば米国は、落ちこぼれやいじめや学校恐怖が多いことでは、日本以上でしょう。でも米国では、「不登校問題」は生じません。どうしてかというと、米国にはいろんなタイプの教育があって、そちらに移れるからです。ホームスクールも全州で合法です。たとえ小中学校で落ちこぼれても、義務教育終了後にはコミュニティ・カレッジという住民のための教育サービスがあります。ニーズに応じていろんなコースがあり、小中学校で落ちこぼれたところも再履修できます。入試なしで入れるし授業料も安いです。

 

 日本では、子どもが学校に合わないことがわかっていても、学校にしがみつくしか道がありません。子どもたちも「学校に行けないダメな自分」と思い込んで、頭に黒い霧がかかったような状態になっています。

 

 人道上そうとうにひどいことが起こっていても、制度が背景になっていると、なかなか苦しみが認識されないものです。しかし、いずれは認識されるでしょう。不登校の場合、子どもが受け入れることができる教育を提供されなかったとして、賠償請求が起こる時代がやってくるでしょう。

 

 旧優生保護法(1948~1996)下で障害者らに強制不妊手術が行われていた時代がありました。今になって、その非人道性が問われています。

 ハンセン病患者の隔離政策によって被害を受けた家族への賠償命令を裁判所が下したのも今年です。

 

 不登校に関しては、2017年2月に「普通教育機会確保法」が施行されて、子どもの状況に応じた学校外の学習が合法化されています。ですからこれからのことは、国の賠償責任までは問えないでしょう。

 しかし、現実にはそんな法律ができていたとは知らない人たちが大部分です。

 

 


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