DABADA(ダバダ) SG承認品 軽量アルミ製 トレッキングポール 2本セット Amazon限定キット付 アンチショック機能付 【軽量220g コンパクト最少56.5cm】 | |
季節・気候により道がぬかるんでいたり、落ち葉が積もっていたり、凍結して滑り易くなっているなどで体のバランスが取り難い時、危険が回避できると共に体の軸をぶれにくくさせ、足首、ふくらはぎ、膝、太もも、股関節、腰への負担軽減ができます。 | |
使用時は前後の方に接触しないよう、気配りも必要です。 |
春はあけぼの。や(よ)うや(よ)うしろくなり行く、山 ぎは(わ)すこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。 《枕草子》 清少納言
口語訳 ⇒ 春は曙。しだいに空が白(しら)み、稜線に紫の雲がなびくのがよい。
日本の春といえば、お花見だろうと思います。 全国各地の人気お花見スポットでは、桜の木のたもとに陣取り宴会をする人々でごった返す。 外国人観光客の増加に伴い、「春に日本を旅するならば見逃せないイベント」と認知されるようになっているようです。
ドンチャン騒ぎの無礼講のように思われがちな花見ですが、その昔は神聖な儀式であったようです。 歴史は遠く、はるか古代に遡る。
日本人が田畑をはじめ自然と密接に関わって、ささやかに生きていたその時代。 山神として古代人に崇められていた「サ神」・「サガミ様」が宿る「座(くら)」こそがサクラであったとのことです。
サクラは、過酷な冬 が終わり暖かい季節と農作の開始を告げるものであり、五穀豊穣の象徴と思われていた。 人々は桜が咲くと、山神が降りてきたことに感謝を捧げ お供え物をし、その年の豊作を祈った。この儀式こそが、花見の起源だそうです。
その後、奈良時代に入ると、宮中や貴族の行事として、花を愛でながら酒宴を開く現代の花見の原型がつくられていったようです。 中国の影響が色濃かった背景もあり、好まれていたのは大陸伝来の梅であったが、これも平安時代に入ると桜に戻っていく。
江戸時代には一般庶民にも花見の風習が広がり、江戸幕府は上野公園や隅田川など各地で桜の名所を整備し花見を奨励したが、大多数の庶民にとってはそれこそ高嶺の花だった。 それでも春の訪れを楽しもうと、長屋暮らしの人々も「貧乏神を祓うため」に、精一杯の宴を楽しむことがあったようです。 そんなエピソードがもとになったのか、いまでも「長屋の花見」という落語の演目があります。
貧しいながらユーモアたっぷりに花見をする江戸庶民の様子が活写されるが、その姿にはどこか格差が広がるばかりの現代社会が重なります。
※参考図書⇒ 彩図社「日本のしきたり」