素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

🏯 山中城跡 🏯

2019年01月24日 | 日本の歴史
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静岡県三島市にある❝山中城跡❞を見学して来ました。                         山中城跡は、文献によると、小田原に本城のあった北条 氏康(うじやす)が、永禄年間(1558~1570)に駿河湾を一望に収めることのできる伊豆国(いずのくに)に築城したと伝えられる中世最末期の山城であります。

箱根山西麓の標高 580mに位置する自然の要害に囲まれた山城で、北条氏にとって西方防備の拠点として極めて重要視され、豊臣 秀吉と北条氏の対立が本格化した1587(天正 15)年には、急ぎ西の丸や岱崎出丸(たいさきでまる)等が増築された。

                                           1590(天正 18)年 3月、7万余人に達する圧倒的多数の豊臣軍兵力に包囲され、城主「松田 康長」・副将「間宮 康俊」以下 4千人の北条軍は短時間で壊滅し、わずか 1日で落城した。

三島市は山中城跡の史跡公園化を目指し、昭和 48年から発掘調査を行い、その学術的成果に基づく環境整備を実施しました。

                                           その結果、本丸や岱崎出丸を始めとした各曲輪(くるわ)の様子や架け橋、箱井戸、田尻ノ池の配置など、山城の全容がほぼ明らかになったようです。

特に障子堀や畝堀(うねぼり)の発見は、水のない空堀の底に畝を残し、敵兵の行動を阻害するという北条流築城術の特徴の一端を示すものとして注目されているとの事です。

なお、三ノ丸跡の宗閑寺には岱崎(たいさき)出丸で戦死した、北条軍の松田 康長をはじめ副将の間宮 康俊、豊臣軍の一柳 直末(ひとつやなぎなおすえ)など両軍の武将が眠っています。

遊歩道の回りには、沢山のツツジやアジサイが綺麗に植栽されており、花の時期はまた違った感じの山中城跡を楽しむことができます。

西の丸は広大な面積をもつ曲輪で、山中城の西方防備の拠点で西端の高い見張台は、全て盛土を積み上げたとのことで、昔は周りに樹木もなく遠望がきいたようです。

とても静かで西の丸は展望最高、散策にもってこいの国指定の史跡です。

 

 


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