2020年04月01日

作手の剣道(5)(続 つくで百話)

花0401。 2020(令和2)年度が始まりました。雨模様の日でした。
 “新しい始まり”にわくわくする気分になれないのは,新型コロナウイルス感染拡大による不安感からでしょうか。


 今日4月1日は「エイプリルフールApril Fools' Day)」です。
 エイプリルフール (April Fools' Day) とは、毎年4月1日には嘘をついてもよい、という風習のことである。イギリスではオークアップルデーに倣い、嘘をつける期限を正午までとする風習があるが、それ以外の地域では一日中行われる。
 エイプリルフールは、日本語では直訳で「四月馬鹿」、漢語的表現では「万愚節」、中国語では「愚人節」、フランス語では「プワソン・ダヴリル」(Poisson d'avril, 四月の魚)と呼ばれる。
(Wikipedia)
 これまで,企業や団体から“4月1日限定の「発表(イタズラ)」”がネットでされていましたが,今年は“嘘・イタズラ”を控えたでしょうね。



 『続 つくで百話』(1972・昭和47年11月 発行)の「作手の剣道」の項からです。
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    剣に生涯を捧げた峯田与忠一

東三錬武会の創立
 倉光成資先生の修武舘が閉鎖されましてから十余年,新城地方の剣道も凋落の一途を辿るばかりでしたが,大正三年,欧州大戦の勃発とともに,尚武の気風が抬頭することになり,この時代的風潮をとらえて東三練武会が誕生することになりました。その発起人は峯田与志一,大久保一,森嶋友石の三名でありましたが,森嶋友石は東京で国民新聞記者をしていた口八丁手八丁の快男児で新城警察署の巡査を勤めておりました。彼は得意の筆をふるって,東三錬武会設立趣意書を起草して,郡内の公職者,有力者によびかけました。これに対して,当時の愛知県会議員今泉辰次郎,東郷村長山内五寿雄氏らが率先賛助し,多数の識者,有志が続々協力することになりました。新城,東郷を始め,郡内各町村からも青年団員,在郷軍人会員などの入会者が相つぎ,忽ち会員二〇〇余名を算することになりました。
 大正三年十月の東三錬武会発会式には豊橋から堀田徳治郎先生を始め,塚本一心,鈴木房吉の両先生も列席されて,その前途を祝福されました。東三錬武会の道場は,木造平屋建の五間に六間三〇坪(約一〇〇平方メートル)くらいのものでした。東三錬武会の運営については,地方有志からも若干の寄付もありましたが,資金面では峯田与志一が全責任を負っておりました。彼が私経済に於いて放漫であったことは事実ですが,会の運営については惜し気もなく私財を投入しておりました。彼が昭和初頭の大恐慌に際して破産の悲運に遭遇した端緒は,東三錬武会に過大の資金を投入したことも大きな原因であったと思われます。
 東三練武会の代表者は峯田与志一でありましたが,その幕僚として大久保一,中根正三(以上東郷村),鈴木清一(干郷村),森嶋友石(新城町)の四本柱が,がっちり手を結んで,彼を補佐していたので会の基礎を固めることができました。これらの幹部は,夫々繁忙な職業に携わっておりましたが,いつも会のために献身的の協力をつづけておられました。
武道0401。 一方与志一さは豊橋の右武学院に日参する程の熱心さで剣道練磨に没頭しました。彼をよく知っていた人が,彼の剣道を不器用と断じておりましたが,その不器用を克服して,ずんずん上達した彼の熱心さには頭の下がるものがありました。大正五年には初段,八年には二段とめざましい昇段をつづけました。大正八年には創設の愛知県立新城農蚕学校の剣道嘱託となり,その傍ら愛知県巡査として新城警察署で剣道指導をすることになりました。ここで僅かながら月給がはいることになりましたので,彼の生活も安定してまいりました。こうなると,いつとわなしに彼は峯田先生と呼ばれることになり,私共の間から与志一さの呼び名は消えて行きました。
 この頃から,彼は「剣は人なり。」という先哲の教訓を身をもって体験したらしく,盛んに修養図書を漁り,禅の研究を始め,心技一体の境地を開拓するための涙ぐましい精進をつづけました。ある門下生は「峯田先生の剣道には器用さも派手な技のさえもみとめられませんでしたがひた向な心の剣道であったと思います。真剣で巻藁や粘土をきることを教えられ,正しい剣,きれる剣への指導をして下さいました。」といっております。
 東三錬武会では,常時剣道の稽古をやっておりましたが,毎年の寒稽古には,十五,六キロメートル離れている町村からも,自転車で通う熱心な青年が大勢おりました。現愛知県議会議員加藤淳先生や元長野県林業技師遠山義一氏などは,鳳来寺村只持の自宅から通っておられました。
 また海老町や作手村の青年たちは親戚や友人の家へ泊りこみで稽古をするものもあり,狭い道場は身勣きもできない程の混雑をくり返しました。稽古の終わりには,一同にお汁粉の振舞いがあり,和気藹々の中に談笑するなどの行事もありまして,師弟の間は固く結ばれておりました。
 大正十年一月,新城小学校で開催した東三錬武会大会には,武徳会愛知支部から門奈,田中両範士,加藤,浅井両教士,豊橋からは堀田教士を始め,塚本,鈴木両先生など斯界の錚々たる名士が参加せられ,また別宮愛知県学務部長も臨席して激励されるなど,剣道熱はいやが上にも勃興する機運に恵まれました。
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Posted by ガク爺 at 17:00│Comments(0)作手
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