2020年06月04日

鈴木金七郎重正(2)(続 つくで百話)

ツバメ0604。 天気の良い日でした。


 ツバメの巣から聞こえてくる声が変わりました。雛が孵って,親鳥からの餌を待っています。
 大きく育ち空へ舞い出るのは,いつごろでしょうか。



 今日6月4日から10日まで「歯と口の健康週間」です。
 今年度は,「咲かそうよ 笑顔の花を 歯みがきで」を標語に,さまざまな活動が行われますが,新型コロナウイルス感染症の影響で催し物は中止や縮小されているのでしょうね。
 普段から歯を大切にしていると思いますが,あらためて口腔ケア,歯を長生きさせられるような習慣が身についているか点検してみましょう。



 『続 つくで百話』(1972・昭和47年11月 発行)の「鈴木金七郎重正」の項からです。
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    鈴木金七郎重正
       田代 鈴木準一

(つづき)
 ところで,金七郎の申し出を受けた信昌は大いに喜び,直ちにこれを許し「城中の鋭気益々奮い,且つ弾丸,糧食なお四,五日を支うるに足る。願わくば,城を救うに急に,遽に戦を開きて兵を損い給う勿れ,危機切迫せば陣鐘を乱打して報じ奉らん」との旨を具申せよと命じた。鈴本金七郎は,五月十八日深夜城西の岩壁を下り,水中の縦横の巨索を切断するや,警哨の鳴子盛に鳴り響く。一哨これを怪しみて他哨に告げた。他哨嘯いて「時,正に梅霖,河水増量して艫魚の泝洄する多し,偶々網索に触れて音をなすものならん」と言って警戒に努めず。為に金七郎は難を免れ,長走りより上陸し馳せて翌五月十九日,家康の本陣弾正山(東郷中学校の裏手にある山)に到り家康にまみえて信昌の言を伝えた。家康は信昌の用意の周到にして忠実なるを賞し,金七郎の労を慰め更に丹羽六大夫を付して,信長の本陣,上平井の極楽寺山に到り信長にも謁せしめた。信長もまた信昌及び金七郎を賞し,帰城の危険を慮り陣中に留るべきを説き,家康も亦辞去,帰城せんとした金七郎に対し「此の度の趣は必ずしも復命を要すると言うものでない。合戦も最早近日の事なれば,暫く我が陣中に留り戦終って後帰城せよ」と其の危険なるを思い,滞陣すべきを命じたので,金七郎も遂に其の言に従い,帰城を思い止った。
 斯の如く,武田軍重囲の長篠城を脱出し,徳川家康,織田信長の二公に謁し,使命を果した金七郎の功績は決して鳥居勝商におとるものではないが,其の滞陣の挙に出たのは条理を尽した家康の命に服したもので,素より心の臆したものではなかった。戦終わってから,金七郎は鳥居に対する世評の高いのを見て,事情止むを得ざりしとは言え,拱手滞陣した己に深く思いを致し,翻然決する所あり,帰城の初志を断念して,毀誉褒貶の局外に生きる可く,作手の田代村に退き土地を開墾して農を営んだ。此の金七郎の帰農した天正三年は昭和四十七年(一九七二)から数えて三百九十七年前の事である。

(つづく)
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【おまけ】
 初めのツバメの雛から思い出したヒナの話(動画)です。



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Posted by ガク爺 at 17:00│Comments(0)作手
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