長編で翻訳物の場合、いつも手に取るまでちょっと躊躇する。私の場合、小説に入り込むまでの心の準備が必要なのだ。でも、一旦手に取ると大抵は一気呵成に読み進み、読み終える。名作と呼ばれるものは、やっぱり読者を惹きつける魅力を持っているものだ。
クローニンの「帽子屋の城」も、読み進めると止まらなくて、昨日は一日にして後半を読了した。
この小説は1879年から始まっている。スコットランドの一地方都市で帽子屋を営み、一国一城の主として気取っていた傲慢で徹底したエゴイストの男が凋落して行くさまと、彼に支配された家族の悲哀を描いている。
長編なので、家族それぞれのストーリーが描かれていて、最後に幸せを掴む娘もいれば、自ら命を絶つ娘もいて、最後に近づくほど、ドキドキが止まらなくなった。なるほど、TVの無い時代、これは人々を大いに楽しませた読み物だったことだろう。
ところで、この作品及びこれまで読んだクローニンの作品は全て竹内道之助氏の翻訳であるが、この作品はクローニンの処女作だからか、後期の作品より古めかしい言葉が多かった。
阿諛(アユ) する 「顔色を見て、相手の気に入るようにふるまうこと。」
平仄(ヒョウソク)を合わせる 「矛盾なく、統一させる」
鞠躬如(キッキュウジョ・キクキュウジョ) 「身をかがめおそれつつしむさま」
七里けっぱい(シチリケッパイ) 「七里結界(しちりけっかい)の音変化」
「人や物事を忌み嫌って、遠ざけたり、寄せ付けないようにすること
廉直(レンチョク) 「心が清らかで私欲がなく、正直なこと。また、そのさま」
また、「目をそばだてる」は「耳をそばだてる」の誤りかと思ったら、ちゃんとその表現も存在していて「憎悪や畏怖のため正視できず横目で見る」という意味だった。
竹内道之助氏は1902年生まれなので、その時代はこういう言葉も(多分、書き言葉として)日常的に使われていたのだろう。初めて目にした言葉もあり、勉強になった。
クローニン全集のⅢとⅣはやはり長編の「三つの愛」。タイトルからして、今度は心温まるストーリーであることを期待して読んでみよう。