追憶の彼方。

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藤井棋聖、新時代の幕開け

2020年07月21日 | 文化・文明
藤井棋聖、新時代の幕開け

棋聖戦第3局は渡辺3冠にとって、「タイトル獲得の最年少記録更新という藤井フィバー」で世間の多くが「自分が負けることを期待している」と感ぜざるを得ないような逆風の中で、名実ともに目下最強と呼び声の高い棋士としての意地を見せ、堂々の横綱相撲で土俵に踏み留まった。渡辺3冠としては、対藤井の公式戦は0勝3敗、このタイトル5番勝負で二人の本当の真価が問われると迄述べ、しかもタイトル戦ではストレート負けの経験が無く、33回中25回を防衛あるいは奪取する驚異の勝率を誇る現在棋界ナンバーワンの身として負ける訳に行かなかったのである。勝因を聞かれ「作戦が当たったとこはあるので、勝ち方としてはいいものではない。けどカド番だったので、そういう贅沢を言える状況では無かった」と極めて正直に対応している。相手の性格まで考えた上で、「初手から王手をかける90手目ぐらいまでの局面を研究した上で立てた作戦」、それがズバリ的中し、持ち時間をあまり使わず指せたのが大きかったようである。万全の準備による勝ち方を知った老獪さ、流石と言うほかは無い。
第4局は渡辺3冠が先手番、「選んだ注目の戦型」は何と藤井七段の完勝と言ってもいい第2局と同じ矢倉、しかも其の進行は殆ど同じ形になった。渡辺自身「何時不利になったのか分からないまま、気が付いたら敗勢だった」と本人ブログで正直に述べており、その第2局と同一局面に誘導するとは、準備の渡辺と異名のある3冠、当然深い研究による万全の準備があると予想された。30手あたり迄第2局と同じ進行で進んだが、このあたりから渡辺3冠の工夫によって違った局面、未知の世界に入り込み、AIの優劣判定は先手渡辺優勢のまま進行したが、藤井7段は終盤戦の攻め合いで、左右両面から分厚い攻めで渡辺3冠を圧倒し手持ちの駒を全て使い切る形で寄せ切った。
渡辺2冠は局後の会見等で「読めていない手が出てきた」、「全体として競った将棋で負けている」、「すごい人が出てきたなという感じです」「負け方がどれも想像を超えてるので、もうなんなんだろうね、という感じです」とも述べている。藤井に対し「すごい人が出て来た」という言葉を発したのは羽生9段が最初だが、多くの棋士の考えを代弁していると考えて間違いない。
タイトル獲得歴代5位の25期、初代永世竜王で「現在の将棋界で最強」の呼び声も高い、超一流棋士の渡辺二冠に、ここまで「完敗」を認めさせた17歳の藤井新棋聖、新たな時代の到来が予感される。
今回の棋聖戦で渡辺2冠の飾り気のないフェアで自然体の対応が特に目についた。更に全対局中、藤井に対する目立たぬ形での気配りも見られ、棋界を背負って立つ人の気概の様なものを感じたのは私だけではないようだ。局後の感想戦でも丁寧に指し手に対する意見や感想を求め、自らも敗因を客観的に分析し心境まで含めて世間に公表したうえで、新たな挑戦に立ち向おうとする強靭な精神力に感銘を受けた。藤井棋聖への対応策を考え準備するような発言もあり今後が楽しみである。是非現在挑戦中の名人位を獲得して欲しい物である。

新棋聖の17歳11カ月でのタイトル獲得は屋敷九段が持つ史上最年少記録を30年ぶりに更新することになったが、現在進行中の王位戦であと2勝すれば2冠保持、師匠と同じ8段へ昇格となり、加藤一二三9段が持つ18歳3か月の記録をも更新することになる。残るは名人位獲得、谷川浩二9段が持つ21歳2か月迄の期限は2023年9月、ハードルは非常に高いが、外野席も含め期待は極めて大きい。
5歳で将棋を覚え、負けると号泣していた少年が僅か13年という短期間で将棋界のトップの位置にまで上り詰め,尚且つ社会人としても賞賛されるまでに成長した。どの様な濃密な人生を歩んで来たのだろうか。大好きになれた将棋に出会えたのが最大の幸運だったが、後は本人の何事に対しても「類まれなる探求心と努力、頭脳の驚くべき吸収能力」、そのベースとなる「集中力」が背景にあるのだと思う。
この点に関しては、2018-5-11付けの小生ブログ記事「脳についてのShort-Short…天才棋士藤井6段育ての親」の中で、「脳の可塑性の関係で、天才をを作るには五歳位迄の教育が勝負、この天才の直接の生みの親は意識していたかどうかは別にして5歳で将棋を教えた祖父母、本人の才能を生かすべく将棋教室に入れた両親、適切な教育を施した師匠という事になろうか。本人の集中力・やる気・負けず嫌い・研究熱心等5歳までに培われた性格形成も大きく寄与したことは間違いない。」
と記したが、この点に関し若干補足しておきたい。
藤井新棋聖の将棋のスタートは、5歳の頃祖母に買って貰った「くもん出版の将棋セット」というので有名だが、すぐさま祖父母では歯が立たなくなった為、高齢者施設で腕に覚えがあるお年寄りにお願いして相手をしてもらったりもしたという。その時の言葉が「はやくおじいさんになって、いっぱい将棋が指したい」という名言である。将棋がピタリと自分に来たのと、好きなことはのびのび自由にやらせるという大らかな家庭環境が大きく寄与したのは間違いない。棋聖就任記者会見でも「好きなことに夢中で取り組んできたのが、ここまでつながった」と述べているが、これこそが藤井棋聖の原点だろう。大好きな将棋をとことん追求してやろうという強い探求心が集中力となり、考え過ぎて何度もドブにはまり、電柱にもぶっつかる、「考え過ぎて頭が割れそうだ」という言葉も常人の子供のそれではない。
もう一つ有名なのが負けず嫌いが高じて、負けると所構わず大泣きするという特徴である。ネットには藤井聡太大泣きの画像、視聴回数922万回、小学2年生の時、将棋日本シリーズJTプロ公式戦こども(東京)大会決勝戦で敗れ、舞台上で号泣し対戦相手や関係者、会場の観戦者を唖然とさせた時の映像だが、ふっくらした可愛い頬を紅潮させ「袴と黒の着物に白のタスキ掛け」という凛凛しい出で立ちと、大泣きのアンバランスが母性本能を搔き立て「可愛い、ぎゅっと抱きしめてあげたい」といった著名人女性の声が後を絶たない程である。
もう一つ有名なのが、彼が小学2~3年生の頃に谷川浩司九段と将棋イベントで「飛車・角」両落ちのハンデ戦をしてもらった際、対局は、谷川九段が圧倒的に優勢ながらも時間の関係もあり「ここは引き分けにしようか?」と谷川九段が提案したところ、突然将棋盤を抱えて大声で号泣したという話が伝説的に残っている。当時羽生9段と並ぶトップ棋士谷川9段に引き分けを提案して貰っただけでも名誉な事と考えるのは常人の考え、藤井少年は大声で泣き喚いたのである。谷川9段も前代未聞、初めての経験に困惑したが、観戦していた杉本7段がとりなしても収まらず最後は母親が盤から引き離し決着がついたとの逸話も残っている。その後も相手構わず1度泣き出すと誰が何を言っても将棋盤から離れず、騒ぎになることもしばしばあった。只一旦泣き止んだ後、次の対局にはコロッと集中できる切り替えの早さも際立っていたようである。
「大声で泣くことによって、負けた悔しさ、無念さを自分のなかで消化するために必要な儀式だったのかもしれない」と杉本七段は当時を振り返っている。藤井少年は小学4年生のときに杉本七段のもとに弟子入り。その頃にはもう対局で負けても泣かなくなったが、「例え師匠が相手でも負けると、まるでこの世の終わりのような悲しそうな顔をして落ち込んでいました」とも語っている。

「涙の数だけ強くなれるよ…」。 ご存じ名曲「Tomorrow」の出だし、導入部の歌詞である。勿論この歌の本当の意味は他にあるが、この部分だけを取り出すと藤井7段の子供の頃にピッタリ当てはまる。
藤井少年の廻りを憚らぬ号泣と切り替えの早さ、これは天才脳の形成に何らかの影響を与えたのではないか。
ストレス社会、泣くことの効用ということが取り沙汰され、心理カウンセラーによる「号泣セミナー」も開催されている。抑圧された感情が泣くことで解放され、冷静さを取り戻して物事を考えることが出来るようになる。涙を流すことには、ストレスホルモンであるコルチゾールを体外に洗い流し、低下させる所謂デトックス作用があると言われている。コルチドールは免疫系、中枢神経系、代謝系などに対して様々な生理学的な作用を及ぼすが、長期にわたって過剰に分泌されると脳の海馬を委縮させその機能である記憶や空間学習能力に大きな障害を生じさせることが知られている。又「情動の涙」を流すと交感神経優位から副交感神経に切り替わり、その際に「幸せホルモン」と言われるセロトニンの分泌が活性化され、リラックスした状態になる。副交感神経は「休息の神経」とも呼ばれるが、涙を流す事によって交感神経から副交感神経に切り替わり、その際にセロトニンを分泌する神経が活性化され、セロトニンが増加して、リラックスした状態になる。眠ること以外で副交感神経へと切り替える有力な方法が、泣くことだとも言われている程である。只、泣くことや涙を抑えようとすると気持ちに負荷がかかり、かえってストレスが増大してしまうこともあるので、幼少期の藤井少年にとって、誰に気兼ねすることもなく手放しで泣くことが脳の発育に大きなプラスを齎したのではないだろうかと推測している。
更に藤井棋聖の母親の話として、幼少期よく絵本を読み聞かせ、たくさん話し掛けたと報じられているが、2016年10月のブログ「絵本とマンガについて」の中で、絵本の読み聞かせが脳の発育に大きな効果を齎すと記した通り、母親の愛情が棋聖誕生に大きく貢献したことは間違いない。

棋聖位獲得直後、在校中の担任は「授業も最初から最後まで集中して聞いている」といい、「謙虚さや礼儀正しさが対局の際にも表れている」と手放しだが、藤井棋聖を育み才能を飛躍的に伸ばしたのは幼稚園の年中から通い始めた近所の「ふみもと子供将棋教室」だと言われている。基礎と礼儀を重視する熱血指導者の文本力雄氏の教室は、幼児でも一人前として扱い、時に厳しく指導する。入会時に渡された、500ページ近い厚さの『駒落ち定跡』(日本将棋連盟)を、まだ読み書きができない藤井は母親の助けも借りて符号を頼りに読み進め、1年後には完全に理解・記憶した。
藤井が棋界で名を馳せ天才と呼ばしめる契機となり、更には対局最大の武器となる終盤力の基礎となる「詰め将棋」との出合いも、この教室だった。江戸時代の寺子屋を思わせる雰囲気の中、号泣しながらも好きな将棋を探求し才能に磨きをかけたのである。
藤井はプロ入り後も常に高い目標を掲げ、「まだまだ力が足りない」と謙虚な姿勢を崩さない。将棋界のレジェンドの多くは藤井棋聖の将棋には興奮を搔き立てる華があり、見ていて飽きないと一様に賞賛する。小生の様な素人ですら、終盤の頃にはハラハラ・ドキドキ、AbemaTV の画面から離れなくなる。藤井棋聖、今や日本の宝と言っても過言ではない。
将棋の神様にお願いするなら、なにか?との質問に「せっかく神様がいるのなら1局、お手合わせをお願いしたい」。当に当意即妙、 有能な社会人でも、あれだけ自分の立場を踏まえた適切な回答が出来る人はほとんどいないのではないだろうか。

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