スピリチュアルで考える社会不安障害。対人恐怖症。

社会不安・対人恐怖症の苦しみをスピリチュアルを学び癒された事や&ハイヤーセルフから伝わってくるメッセージを書いています。

あなたには価値がある。誰にでも価値があるように。

2019年11月28日 22時19分00秒 | 日記
本:【神との対話 3】
著:ニール・ドナルド・ウォルシュ


P114

ニール:
わたしは、ここで与えられ、
三冊の対話で語られている情報を
受け取る価値のある人間じゃない。
さんざん過ちを重ね、
自分勝手なことをしてきたわたしは、
すばらいい真実の担い手になる価値なんか
ないことがわかっているんです。

だが、それこそが、この三冊の
最大のメッセージなのかもしれませんね。
神は、どんな者からも身を隠さず、
誰にでも、いちばん価値のない者にすら
語りかけるというメッセージだ。
わたしにすら話しかけるのであれば、
神は真実を求めるすべての男、女、
子供の心にまっすぐに話しかけるのでしょう。
だから、誰にでも希望はある。
神に見捨てられるほどひどい人間は誰もいない。
神が顔をそむけるほど許しがたい人間は誰もいない。

神:
あなたはそう信じているのか?
いま書いたとおりに信じているのかな?


ニール:
そうです。

神:
では、そうなるだろう。
だが、いいかね。あなたには価値がある。
誰にでも価値があるように。
価値がないというのは、人類に浴びせられた最悪な非難だ。
あなたは過去をもとに自分の価値を決めるが、
わたしは未来をもとにあなたの価値を決める。

未来、未来、つねに未来だ!
人生、生命は未来にあるのであって、過去にはない。
未来にこそ真実があるのであって、過去にはない。
これまでしてきたことは、
これからすることにくらべれば重要ではない。
これまで犯してきた過ちは、
これから創造するものにくらべれば何の意味もない。

あなたの過ちを赦(ゆる)そう。
すべての過ちを赦そう。
あなたの間違った情熱も赦そう。
すべてを赦そう。
間違った意見も、見当違いの理解も、
有害な行動も、自分勝手な決定も赦そう。
すべてを赦そう。

ほかのひとは赦してくれなくても、
わたしは赦す。
ほかのひとは罪悪感から解放してくれなくても、
わたしは解放する。
過去を忘れて前進し、
新しい何かになることを誰も認めてくれなくても、
わたしは認める。
あなたは過去のあなたではなく、
いつも、いつまでも
新しいあなただと知っているから。

罪人は一瞬にして聖人になる。一秒で。ひと息で。
ほんとうのところ「罪人」などいない。
誰も罪を犯すことなどできない。
まして、わたしに対してはありえない。
だから、あなたを「赦す」と言うのだよ。
あなたにわかる言葉を使っているのだ。

ほんとうはあなたを赦すのではない。これからも、
赦さなければならないことなど何もない。
だが、あなたを解放することはできる。
だから、いま解放しよう。
いま。ふたたび。
おおぜいの他の師の教えを通じて、
過去に何度も解放してきたように。


ニール:
では、どうしてわたしたちはいままで
耳を傾けなかったんでしょう?
どうして、あなたの偉大な約束を信じなかったんでしょうか?

神:
それは、神が善だと信じなかったからだ。
だから、わたしの善については忘れなさい。
かわりに、単純な理屈を信じなさい。

あなたを赦す必要がないのは、
あなたがわたしに逆らって
機嫌を損ねたりするはずがないからだ。
わたしが傷ついたり、破壊されたりすることは
ありえないのに、あなたがたはそうできると思っている。
なんという幻想だろう!
なんと途方もない妄想だろう!

わたしを傷つけることはできない。
どんなことがあっても、わたしは傷つかない。
わたしは傷つきえないものだからだ。そして
傷つきえないものは、ひとを傷つけることもできないし、
傷つけようともしない。そんな必要はないのだ。
わたしは無礼だ。失敬だと機嫌を損ねたり、傷ついたり、
損なわれたりしない。そんなことはありえない。

あなたも同じだ。ほかのすべてのひとも同じだ。
ただ、あなたがたはみな、自分が傷つけられ、
被害を受け、破壊されることがありうるし、
そうされてきたと信じている。

被害を受けたと思うから、復讐しないではいられなくなる。
苦痛を経験するから、お返しとして
ひとに苦痛を与えずにいられなくなる。
だが、ひとを苦しめることを、正当化できるかな?
誰かが自分を苦しめた(と想像した)ら、
報復として傷つけていいのか?
人間として互いにしてはいけないと言っていることなのに、
正当化できれば自分はしてもいいのか?

それは狂気のさただよ。
その狂気のせいで気づかないが、
じつはひとを傷つけて苦痛を与える者は誰でも、
自分は正当だと考えている。
当人は、自分が望むことにてらして、
正当な行動だと思っている。
あなたは彼らの世界観や道徳観、倫理観に、神学的理解に、
それに決定や選択や行動に同意しないかもしれない
――だが、当人は自分の価値観にてらして、
それでいいと思っている。

あなたは彼らの価値観を「間違っている」と言う。
だが、あなたの価値観が「正しい」と言うのはいったい誰だろう?
あなただけだ。あなたの価値観は、
あなたが「正しい」と言うから正しい。
それでも、あなたが自分の言葉を守れば、
多少は筋が通るかもしれないが、あなた自身、
何が「正しい」か、何が「間違っている」か、
考え方をしじゅう変えている。
個人でも社会でも同じことだ。

社会は数十年前に「正しかった」ことを、
いまは「間違っている」と言う。
そう遠くない過去に「間違っている」と思ったことを、
いまは「正しい」と言う。
何が正しく、何が間違っているか、誰にわかるかね?
スコアカードがなくて、選手を知ることができるかな?


ニール:
それでも、わたしたちはひとを批判しようとする。
何が許され、何が許されないのか、自分の考えが
年中変化するのに、違う考えのひとを非難する。
まったく、あきれたものですね。
自分の気持ちすらきちんと決められないのに……。

神:
それは問題ではないよ。
何が「正しい」か、何が「間違っているか」、
考え方が変化することは問題ではない。
変わるべきなのだ。そうでなければ、成長しない。
変化は進化の産物だからね。

問題はおおぜいのひとが、現在の価値観は正しい、
完璧だ、誰もがそれに従うべきだとしつこく
考えつづけることだ。なかには、自己を正当化し、
独善におちいっているひとたちもいる。

自分のためになるなら、信念にこだわりなさい。
信念をもちつづけなさい。迷わなくていい。
なにが「正しく」何が「間違っている」と考えるか、
それによって自分が決まるのだから。しかし、
ひとにあなたの考え方を押しつけてはいけない。
それに、現在の信念や習慣に「しがみつき」、
進歩のプロセスをはばんでもいけない。

じつは、したくてもできないのだがね。
生命は、あなたにおかまいなしに進んでいく。
同じところにとどまるものは何もないし、
変わらないものもない。
変わらないとは、動かないことだ。
動かないとは、死ぬことだ。

生命はすべて動きだ。
岩でさえも動きに満ちている。
すべてが動く。すべてだ。
すべては次の瞬間には変わっている。
変わらないものはない。
同じところにとどまること、
あるいはとどまろうとすることは、
生命の法則に反した動きだ。
それはばかげている。
その戦いでは、つねに生命が勝つ。

だから、変化しなさい!そう、変わりなさい!
何が「正しく」何が「間違っている」かという考えも変えなさい。
あれこれについての意見も変えなさい。
自分の組成、自分の構造、自分のモデル、自分の理論を変えなさい。

最も深い真実を変化させなさい。
後生(ごしょう)だから
(for goodness’sake:神のために)
自分自身を変えなさい。
これは文字どおりの意味だよ。
神のために、自分自身を変えなさい。
ほんとうの自分について新しい考え方をするから成長する。
誰が、何が、どこで、いつ、どのようにして、なぜ
ということについて新しい考え方をすれば、
謎が解決し、仕掛けがあばかれ、物語が完結する。
そのとき、新しい、もっと大きな物語が始まる。

すべてについての新しい考え、
それこそエキサイティングな創造の場であり、
あなたがたのなかの神が現れ、
あますところなく現実化するところだ。

どんなに「良い」と思っていも、もっと良いことがある。
自分の神学やイデオロギー、宇宙観が
どんなにすばらしくても、もっとすばらしくなれる。
シェイクスピアが言うように、
「天と地のあいだには、おまえの哲学では
及びもつかないことがある」のだから。

だから開かれていなさい。オープンでいなさい。
古い真実が心地よいからといって、
新しい真実の可能性を閉め出してはいけない。
心地よさのゾーンが終わるところから、人生が始まる。

だが、性急にひとを批判しないこと。
ひとの「間違い」は、昨日のあなたの「正義」だ。
ひとの過ちは、いまは訂正した昨日のあなたの行動だ。

ひとの選択と決定が「有害」で「他人を傷つけ」、
「自分勝手」で、「許しがたい」としても、
いままでのあなた自身もそうだったのだ。
「どうしてそんなことをするのか、想像もできない」
と思うのは、自分が来た道を、そしてお互いが
これから行く道を忘れているからだ


それから、自分は邪悪だ、価値がない、
とり返しがつかないと思っているひとたちに言っておこう。

いつまでも迷っている者はいないし、
これからも決してない。
全員が成長のプロセスにいるからだ。
あなたがた全員が進化という経験のなかを進んでいる。

それが、わたしだから。

あなたがたを通して、わたしが進んでいるのだから。





ありがとうございました。

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