阪神淡路大震災から1月17日で25年 | おこじょ。の,ブログ

阪神淡路大震災から1月17日で25年

※Twitterアカウント HuHamiでツイートした内容を持ってきたぶろぐとなります。
後ほど見返しやすいようにするためです。

 

関東に戻ってきて
学校で何か作るにしても
地震のことが頭から離れなくて
作った版画。


地震の時の状況を俯瞰して
出来うる限り試行錯誤したかなと

床には戸棚などから落ちたものが
散乱し、
何故か自身は膝ついて
手のひらついた状態で
目が覚めたし
兄に「大丈夫か?」と言われても
状況が?だし。

少ししたら物が散乱して
開けづらくなっていたドアを親が
なんとか押し開けてきて
とにかく逃げようと
私は片手で持てる
犬のぬいぐるみを握ったけれど
親に今は置いておいて後で
ちゃんと取りに来るから。
渋々置いておんぶされて。
マンションの廊下に出ると
内階段の方へ向かうが
兄が穴空いてる!

母は気づいていなかったから
兄が気づかなければ
危なかったかもしれない

やむ無く外階段へ向かうが
螺旋階段の手すりは
所々とれていた
下まで降りてきてようやく
非常ベルの音が気になった
ドアガラスがいとも簡単に
くの字に折れていて
1階はお店が入っていたが
物理的に潰れていた

そして学校へ

学校前に到着すると
たくさんの人だかり
朝方で誰か学校に
来ているわけではない
(ここらは
あまり覚えていない
おんぶされていただけとはいえ
疲れてきていたかと思います
体力なかったので
まだいつもなら寝ている時間
なのもあります)

体育館に移動すると
天井の緩衝材等が床に
落ちていたのを使い

床からの冷たさを
軽減していました

近所の見ず知らずの
方が家の炊飯器に残っていた
ご飯でおにぎりを握り
子供だったからかもしれませんが
おにぎりをくれました
ご自身も同じく被災したというのに
周りのことを見て実行できる
行動力は尊敬に値します

外が明るくなった頃
父と友達のおとうさんが

自宅マンションまで行って
持ち出せるものは持ち出すと
確かにさっき置いてきた
ぬいぐるみは持ってきてほしいと
言う反面余震があったので
怖いから行かないでとも
いつ崩壊してもおかしくない
状態の建物になっていたので

何回か往復したかと思います
ステレオやスーファミ
ぬいぐるみランドセル等

持ち出してくれました

そして大好きなおばあちゃんが
1日早く泊まりにきていたら
母の打撲だけでは済まない事態に
なっていたのかと思うと
何か辛いことがあっても
あの時助かったんだから
生きたくても生きられなかった
人のぶんまで生きなければ
と思います

無論それでも辛いときは
辛いと言うよ

#阪神・淡路大震災 から
1月17日で25年

被災したわたしが出来ている
ことはきっと少ないだろうけれど
懸命に生きよう

何かに戸惑い傷つき
立ち止まるようなことが
あったら少し休んで
見つめ直して
そうしたらまた歩んでゆけば
いい

強くなくていい

支えあいながら
人は生きていける
そう信じて…

日常も大事にしていこう

歩いていこう。