誰よりも詳しい?江戸城-8 | 令和元年にしか見る事のできない大嘗宮の参観 | 地図付き | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)

「武るる 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」お城めぐりの旅、
江戸城の紹介-8です。
現存門をはじめ、見どころが多いので数回に分けて紹介します。
その-1その-2その-3その-4その-5その-6その-7その-8 はこちら。

武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道~天目山の戦い」史跡めぐりの旅
は少しお休みです。
 

城名(別名) 住所 関連する人物
江戸城(千代田城) 東京都千代田区千代田 太田道灌、徳川家康、徳川秀忠、徳川家光、徳川将軍家

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 日本100名城スタンプ
No.21

登城年月:2010年4月
登城順:68/100
皇居ですが、東御苑は一般開放しています。
その他申請すれば入れる場所があります。
※右地図は乾通り一般公開の入口である坂下門をマークしてあります。

くるまr近隣に有料駐車場があります。
ただし、皇居なのであまり近くにはありません。


100名城スタンプは楠公休憩場、和田倉休憩場、北の丸休憩場の三か所にあります。


言うまでもありませんが、江戸城は徳川将軍家の居城です。
康正3年(1457年)に太田道灌が築いた城を、天正18年(1590年)に江戸へ転封となった徳川家康が大改修を行い、巨大な城としました。
慶長8年(1603年)に江戸幕府を開いた後、さらに拡張を行っています。
天守閣は、二代将軍・秀忠の時代の慶長11年(1606年)と元和8年(1622年)、三代将軍・家光の時代の寛永14年(1637年)の計三度、立て直されました。
しかし、明暦3年(1657年)に起こった火災「明暦の大火」によって焼失してしまい、その後は築かれませんでした。

江戸城は、現在皇居となっていますが、本丸・二ノ丸・三ノ丸の一部を東御苑として一般開放しています。
月・金閉園。出入口は大手門・平川門・北桔橋門の三か所です。
また、参観申込みをすれば、宮内庁職員の案内のもと、皇居内の決められたエリアの見学 が出来ます。
参観はAM10時とPM1時30分の1日2回で、所要時間は1時間15分です。日・月・祝日は休止。
申請は参観係窓口、郵便、電話、インターネットで受け付けています。
事前予約なしで当日参観も出来ますが、参観者が多い場合は不可とされるので事前予約がおすすめです。


春と秋に一般公開される乾通り
乾通りは、坂下門から蓮池堀、乾堀沿いを通り乾門へと抜ける道で、普段は立ち入り禁止の場所です。
乾通りの一般公開は、当時の天皇陛下(現・上皇陛下)の傘寿を記念して平成26年の春と秋に公開され、平成27年秋季以降は毎年の春と秋に公開されるようになりました。
坂下門から乾門までは約750mあり、春には桜、秋には紅葉を見る事が出来ます。

乾通りの一般公開ルートは2つあり、一つは坂下門から乾門へと抜けるルートで、もう一つは乾通りの途中から西桔橋を渡り天守台の脇から本丸へ抜けるルートです。
今回僕は、本丸に建つ大嘗宮を見るために西桔橋を渡るルートを取りました。


令和元年にしか見られない大嘗宮
大嘗宮はご存じの通り、大嘗祭のために造営されたものです。
大嘗宮とははてなマーク以下宮内庁サイトからの引用です。
本年(令和元年)11月14日及び15日、天皇陛下がご即位の後、初めて新穀を皇祖・天神地祇に供えられ、自らも召し上がり、国家・国民のためにその安寧と五穀豊穣などを感謝し祈念された大嘗宮の儀が行われた場所。

で、この建物、ご存じの通り、取り壊されちゃうんですよね。
次回大嘗祭が行われ大嘗宮が造営されるのは次の天皇陛下即位の時なので、それまで生きているかどうか分からないので見に行って来ました。


檄混みだった大嘗宮
多分混んでいるだろうから平日に行ったんですけどね、それでも混んでました。
12:30に皇居について、それから坂下門までう迂回して歩かされ、持ち物検査を経て、城内に入って、乾通りはちょい混みぐらいな感じだったんですけど、本丸に入ってからがもう檄混みでした。

動かない列でひたすら待ち、大嘗宮を写真で収め、城を出たのが15:20ですから、約3時間掛かりましたね。
ホントくたびれました。
しかも、大嘗宮は前列で写真撮ってると、「ハイ一枚撮ったら列を動いて下さい。立ち止まらないで下さい。」って状態だったので長い時間並んで何だかな~って感じでした。

もう少し中まで見られると思ったんですけどね、柵が張られていて遠くから外観を眺めるのみでした。


大嘗宮は期間中78万人が参観
檄混みだったのもそのはずで、宮内庁によりますと期間中の大嘗宮の参観者は述べ782,081人で、その他乾通り参観の人数と合わせると、合計792,911人が18日間の間に江戸城(皇居)を訪れました。

・大嘗宮の一般参観
令和元年11月21日~12月8日の18日間。
入城は午前9時~午後4時。
参観数782,081人。

乾通り一般公開
令和元年11月30日~12月8日の9日間。
午前9時~午後3時30分。
参観数381,173人

 

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皇居前にずらりと並んだ警察のバス。御苦労さまです。


 

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大嘗宮へのルート。


 

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大嘗宮が見えてからが長い…。全然進まない。


 

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まだ行列は続く…。


 

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建物群を正面から見る。


 

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南神門と殿外小忌幄舎(奥。でんがいおみあくしゃ)。
殿外小忌幄舎は女子皇族が参列された建物です。


 

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右から小忌幄舎(おみあくしゃ)、風俗歌国栖古風幄(ふぞくうたくずのいにしえぶりのあく)。
小忌幄舎は男子皇族が参列された建物です。


 

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建物群正面に向かって左側から見る。右から膳屋(かしわや)、小忌幄舎(おみあくしゃ)、主基伝(すきでん)。
主基伝(すきでん)は天皇陛下が神饌をお供えになり、御拝礼の上、御告文(おつげぶみ)をお奏しになり、
自らもお召し上がりになった建物。


 

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膳屋(かしわや)。の壁。


 

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建物群を後ろから見る。右から主基伝(すきでん)、廻立殿(かいりゅうでん)。
廻立殿は天皇皇后両陛下がお召替えなどを行った所。



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