ともしび  
2017年(フランス・イタリア・ベルギー)
監督 アンドレア.パラオロ
出演:シャーロット.ランプリング  アンドレ.ウィルム

こんにちは。puffです。つい最近、バーニングの劇場版を見たばかりです。NHKでの編集版を見たきりだったので、見た後の余韻は“裏切りが気持ちよかった!”(ちょっと大げさかもしれないけれど)です。村上春樹先生の“納屋を焼く”の作品を生かしながら、エネルギッシュでありながら、一方は足掻いても足掻いても這い上がれない絶望感、みたいのが手応えとして残り、改めて監督イ.チャンドンの凄さに驚いたっていうか…
それ以前にも、オアシスを見たときに、あぁ、この映画を見なければその後の私って一体…、こう思わせるだけの映画であったわけだし、監督の持つ情熱と冷静さっていうのが、見る者に対しても相当な覚悟を要求するっていうか…。監督は(皆さん、そうだと思いますが)厳しい人なんだなぁと感じた事を今でも思い出します。そんなわけで、今後もチャンスがあれば“バーニング”の感想を書きたいと思いますが、昨夜見た“ともしび”が非常に心にきたもんで…。





ともしび 予告 こちらも是非。

私が結婚してもう…、23年。ここで私的な馴れ初めを書くわけじゃないですが、実際つきあって一緒にいた時間は更に数年(!)伸びるわけです。共に歩んできた道のりは、こうして数字にしてみると途方もなく感じますが、今感じるのはあっという間だったという事。結婚した当初はまるで子供のようだった二人。早婚だったこともあり、今や兄弟のような存在になりつつありますが…、呼吸が読めすぎてつい、お互いに見落とすこともしばしば。それが誤解となってある日忿怒と変わるかというと、それが無い場合も多くある。というのは、どうもそこには逃避もあるように思われます。夫婦という単位で生活をしておれば、家屋は勿論、食事や排泄(トイレってこと)お風呂も共有。彼が狩して私が貯蔵する、みたいな原始的な行いを営々と続けるなかで、実は夫婦にもそれぞれの侵し難い領域なるものができていく。それが外部であれば当然のごとく納得ですが、内部、内面であることに人間の妙な面白さがあるという。どんなに近く寄り添っていても、私達って他人よね、こう思う場面が目立つようになったのは、私の場合、意外にも年齢を経てからだと痛感しております。
良い意味でも悪い意味でも他人。個人であるということ。馴染みきった幸せと喜びを下地に置きながらのーー、一応、こう断っておきますね(笑)
面白いですよねぇ。以前よりも現在の方がよっぽど距離を保とうと努力し、極力争いを避けるという努力を惜しまない。しかし、それが単純な日常の細々としたものならいいのでしょうけれど、この映画のように“夫の犯罪”となった時、自分はいかにして向き合うかという…

淡々とした毎日は一見つまらなそうに見えても、なにものにもかえ難い、得ようとしても簡単には得られないんだぞと、私はいつもそう思う。幸か不幸かを測る時間などあっても虚しい、だったら毎日が心地良く、居場所を確保して暮らしたい。だったら努力は必須であって、決して逃げることなく向き合うことが何よりも大切。
建前はそうであっても、この“隣人を愛せよ”が難しい。夫を大切な隣人として扱うことに少々度がすぎると、目をつぶって逃げたくなる…。子供に対してもそうなってしまうのだろうか。
シャーロット.ランプリング扮する主人公、アンナの極限にまで抑えた感情、表情に目が奪われてしまい、慟哭には涙し、つい、些細な行動に目が奪われてしまう。
映像は決して荒々しくもなく、むしろ美しい。静かなうつろいのなかで、端々に告げられる外部からの声や示し。セリフの少ない映画であればあるほど、アンナの孤独や答えのない問いかけのようなものが延々と続くような気がして切なかった。そしてそれを見ている私も、いつのまにか自らに問いかけているという。
生活の中に生じる小さな侵食や隔たり。それが拡がりを見せる時、女はどう行動するのか。
あえて、人、じゃなく、女の性で見てしまう、考えてしまうのは、私が歳を取ったせいかしら……

2019.11.11