今日は私の恥ずかしい話を正直にしたいと思いますニコニコ

 

どうか、愚か者だと笑ってください。

 

昔、よくヨガで体を痛めていました。

 

ストイックに練習をしながら、整体に通っていました。

 

股関節の可動域が限界を超えているのにも関わらず、

 

無理やり筋肉と腱を伸ばして理想の状態まで到達しようとしていました。

 

 

ポーズを力づくで手に入れようとした私のおごりが、

 

体に悲鳴と痛みを引き起こしていました。

 

 

ああ、自分で書いていても目を覆いたくなる!

 

なんと愚かなんだろうか。。

 

私は一体何を目指していたのか。。

 

 

 

でも、人間だもの。そんな失敗もある。

 

失敗して、痛い目をみて、


悲しくて虚しくて、

 

その結果

 

「ああ自分は間違っていたんだ」と気づくことができた。。

 

大きな代償を払いながらも、いまこの身体があることに感謝をしたい!!

 

 

 

 

そんな黒歴史を経て、

 

ここ数年は、ヨガでケガをするということはなくなりました。

 

 

なぜかと考えたときに、

 

今はポーズをしている時、

 

「こころが体の外」

 

にあるのではなくて、

 

「こころが体の中」

 

にちゃんととどまっているからなんだと気づきました。

 

 

練習を通して

 

ありのままの状態を見つめながら

 

注意深く

 

繊細に

 

丁寧に

 

問いかけをしていくスタイルが

 

自分自身と向き合う方法として

 

しっくりきているから


だと思います。

 

「ああ、これがヨガだな」って、

 

クラスのあとにふっ、と


降りてくる感じです。

 

 

自分をおきざりにせずにとことん問いかけていくので、

 

ケガをするということはまずありません。

 

 

自分がいま、このポーズをとりながら何を感じているのか。

 

何が体の中で起こっているのか。

 

どこが開いている感じ?どこが詰まっている感じ?

 

 

 

好きな人のことはどんどん知りたくなって、近づきたくなって、話しかけたくなる。

 

その感覚に似ているかも。

 

 

 

そんな「愛」の反対は、嫌いじゃなくて「無関心」ですよね。

 

 

 

 

ケガをする体は、きっと「愛」ではなくて「無関心」。

 

 

 

 

 

自分に対して「無関心」であること以上に、

 

 

悲しいことはきっとない、ですね。