晴れたり曇ったり

夫のステージⅣ 切除不能進行食道癌の闘病記録と旅立ちからの日々

台風なのでお店休みました!

2018年09月04日 | 旦那の旅立ちからの日々
まだ北海道まで来ていないにもかかわらず物凄い風です。
ニュースで見る台風の被害状況に驚き店を休み部屋で大人しくしてます。

お久しぶりです!
お変わりありませんか?
次から次へと起こる自然の猛威に対して人は、無力なのだと思い知らされます。

旦那の一周忌も過ぎ、お店も何とか1年を迎えました。
一人飯、一人温泉(日帰りですよ)一人寝にも慣れてのんびり暮らしています。
やっぱり時間なんだなぁと感じたのは、一周忌が過ぎた頃からですね。
それまでは涙がこぼれない日が無いほどだったのが今は、泣かない日のほうが多くなりました。

最近で泣いたのは、お店が忙しく帰って寝た後、夜中に足がつり目が覚め
いつもなら片足で数分でおさまるものがその日は両足で
数分経ってもおさまらず、何で・・何で・・と真夜中に痛みともどかしさで泣き叫びました。

泣き叫んだ後、なぜか冷静になりネットで調べたら冷えからも起きることを知り
お風呂に入ると何とかおさまり眠ることが出来ました。

本州では、猛暑が続き熱中症で亡くなる方もいるほどなのに
私の今住んでいるところは、一日だけ30℃超えただけで
25℃超えた日も日中のみの数日であとは20℃前後と言う冷夏。
一応夏なので薄着していたのが冷えの原因だったようです。

人は、常に何らかの痛みと共に過ごしているのだと思いました。
それが肉体的なものだったり精神的なものだったり違いは、あるものの
様々な痛みと闘っているのですから強くなっていくのでしょう。

若い頃から、強くなりたいと願った私でした。
旦那の闘病中も私が強くならなければと自分を奮い立たせていましたが
いつの間にか乗り越えているのだと思いました。

不思議ですねぇ。
涙を流すたび強く優しくなれているようです。
これからもたくさん涙を流しながら強くなりたいと思える私でした。

人と関わる商売をしていながらも時々引き籠もりだった頃のように
煩わしさを感じ関わりを断ちたい衝動にかられる日もあります。
でももう引き籠もらないと自分に暗示をかけます。

いつの間にか強くなったなぁと自分を褒めてあげます。

嵐もいつか過ぎます。
自分ばかりを責めず、たまには褒めてあげて
身体にもご褒美にお休みあげましょうよ。


昨日歯を抜いて左側の頬が腫れています。
今夜は薬飲んで早く寝て台風が過ぎるのを静かに待ちます。


あけましておめでとうございます。ごぶさたしてます。

2018年02月08日 | 旦那の旅立ちからの日々
日々の生活に追われ以前のようにPC前にいる時間も取れないので購入もせず
スマホからのログインが面倒でもあり、ごぶさたしてごめんなさい。

何とかログインして更新しています。

田舎に戻って夜のお店を始めて半年になりました。
今のところ同級生や友人知人に助けられて何とかやっております。
腰痛や膝の痛みが消える日は、ありませんが
心穏やかに過ごしていられることが救いです。

何かのきっかけで旦那のことを思い出しては、いきなりポロポロ涙がこぼれ落ちることもありますけど
日々、涙する時間は、減ってきていると思います。
どんなに泣き叫ぼうが旦那は、もう居ないんだという諦めなのかな。

それでもこうしてブログを書いたり見たりすると涙が止まりません。
まだまだダメだなぁと痛感します。

皆さんお変わりありませんか?
ニュースを見て一華さんのところは、大雪で大丈夫なのかと気になり
思わずブログ更新しちゃいました。
ここは、北海道のわりに雪の少ない地域ですけど今年は多くて苦笑い。

お店が終わっての帰り道、雪が降ってからは毎日徒歩。
足元が悪いので酔っ払っていられないのです。
年齢的にバカ飲みも出来ないし、ちょうど良いのかもね。

やっぱりスマホ操作は、苦手でPCの時みたいに更新できません。
ごめんなさいm(_ _)m

時々、何で生き残っているのかと自分を責める日もあり
それでも前向きに必死に生きています。
これからもね!


ひとつずつ・・一歩ずつ・・確実に前に

2017年07月21日 | 旦那の旅立ちからの日々
久しぶりの更新になりましたm(_ _)m

田舎へ戻ると決めたものの単身者では、公営住宅に住めないという壁に阻まれ
息子と同居とするには、息子の所得制限で阻まれ
泣く泣く民間の賃貸物件を探すことになるも無職では、厳しい物件ばかりなのと
田舎のほうが家賃高いのに驚き!!

半分諦めかけていたところに同級生が居酒屋の働き口と
相談すれば住居も何とかなるかもしれないという話を持ってきてくれた。

何件かある賃貸物件と同級生の紹介の居酒屋の面接の為、16日にJRで田舎へ向かった。

居酒屋の面接の件は、タイミングが悪いのか連休だったので臨時休業していて
連絡待ちとなり、帰るまでに連絡がくるか微妙になってしまった。

12時と14時の待ち合わせで3件ほど物件を見にいった。

そのうちの1件が正面は、焼肉屋になっていてその2Fは、かなり昔に知人がスナックをやっていたところだった。
大家さん直接だったのでスナックのあったところも見せてもらうことができた。

椅子やカウンターもそのままなので居抜きのまま、すぐにでも営業できると薦められ
無職でもこれからお店を始めれば無職じゃなくなる。
保証人も息子でいいよと言われ、お店と部屋の両方を借りることになり
今日、また田舎へ行き8/1からという契約を済ませてカギをもらってきた。

つい数日前までは、部屋も決らず仕事も決らず悶々としていた私でした。
気持ちは、焦りながらも前に進めず八方ふさがり状態だったのです。

昔から田舎で家具店をやっている大家さんで社長は、私のことを覚えていて
半分、信用貸しみたいな形で契約することができた。

それでもトイレや床は手直しが必要だったり
カウンターの中は、シンクだけなので備品は、用意しなければならないのと
保健所の営業許可申請や警察署への届出。

札幌のアパートを引き払い引越しと開店の準備。
やることは満載で一気に慌しく動かなければならなくなった。

明後日、また田舎へ行って部屋とお店の掃除をして翌日、保健所へ行くので泊りがけになる予定。

そこのアパートの部屋を見せてもらう時、ふ~っと頬に温かい風が吹いた。
「父さん・・心配して一緒に見にきたのかな」なんて思ってしまった。

人生ってほんとに不思議。
タイミングっていうか縁って言うのか偶然、知ってる人が大家さんだったとかね。

でもこれで定年も無く自分の身体さえ動けば続けられる道が開けた。
暗闇の中に一筋の光が見えた気がしましたよ・・ほんと。

田舎で部屋探しをするのに泊めてもらった知人。
働き口を探してくれた同級生。
心配して連絡をくれた幼馴染。
田舎へ行くのに母親のところへも車で乗せていってくれたF。

一人じゃなかった・・。
また私は、周りの人に助けられ生かされているんだと感じた。

「みんな辛いこと苦しいこと、年を取ればそれなりにあるんだ」
「だからお前も前を向いて生きろ、笑って元気を振りまかないとお前らしくないぞ」と
同級生に渇を入れられてしまった(笑)

札幌にいるうちに無料の健康診断を済ませておこうと病院にも行ってきて
ついでに詳しい血液検査(有料500円)と大腸がんの検査も済ませ
結果は、25日以降に出るそうです。

ひとつずつ、一歩ずつ
私は、確実に前に進んでいます。
毎日、忙しくしてるくらいのほうが私には合っているようです。


揺らぐ弱さ

2017年07月05日 | 旦那の旅立ちからの日々
昨日は、2回目の月命日でした。
息子が休みを合わせて前日に来て泊まったので泣かずに済みました。

友人Fに田舎へ戻ることを話すと反対された。
せっかく札幌での仕事が決ったのにもったいない。
働き始めたら気持ちも変わるのじゃないかということや
田舎へ戻っても過疎の町で働き口を見つけるのも厳しいだろうということ。
昔、住んでいた頃とは違うから仕事を断る前に一度、田舎を見てきたら?とも言われた。

ブログを読んでいるというMからもラインが来て
田舎へ戻るのは少し働いてみてからでもいいのでは?と言われた。
働き始めると色々な人との出会いもあって、いい意味で影響されたりすると思うと。

そこでまたゆらゆらと気持ちが揺れる弱い私なのでした。

旦那の遺影に向かって「札幌にいるほうがいい?どうするのが一番いいと思う?」と聞いても
何も答えてくれずまた涙がこぼれる。

田舎の同級生R子からまだまだ気持ちの整理なんてつかないと思うけど泣いてばかりいないかと
2・3日おきくらいにラインが来る。
いつでも電話なりラインなりよこせよと。
同級生もみんなそこそこの立場になっているのもいるし
力になる同級生もいるからね。と言ってくれる。

ありがたい・・。
今は、人の優しさが胸に沁みる。

心が揺らがないように派遣会社には、仕事の断りの連絡をした。
住宅を探してもらうように息子の会社の社長にもお願いした。
これでもう後戻りはできないぞと自分に言い聞かせるとなぜか泣いてしまった。

旦那との思い出の詰まった札幌。
楽しいことも辛いこともここには、たくさんの思い出がありすぎる。

旦那は、私たちに軍手とビニール袋を渡して、公園の銀杏の木に登って木をゆすり
落ちてくる銀杏を私たちは拾い集めた。
通りがかるおばあさんが「私も拾っていいですか?」と聞いてきた。
「いいけど素手だと手がかぶれちゃうよ」と言うと「あら・・そうなの・・残念・・」と
羨ましそうに振り向きながら離れていった。

初デートは、藻岩山のロープーウェイから札幌の夜景を見下ろした。
田舎町しか知らない私には、どんな宝石よりも綺麗に見えた夜景だった。

札幌駅から列車に乗って小樽のフィッシャマンズハーバーへ行き食事をして
帰りのバス亭でバスを待つ間、ワンカップで乾杯した。

映画を観て食事した帰りの地下鉄で二人とも寝てしまって終点で起こされた。

ワンコも連れていける鶏のバーベキュー屋さんにもよく行った。
私の両親が札幌に来た時も連れていき父親は、とてもそこが気に入っていた。

桜の季節になるとお義母さんも一緒にサッポロファクトリー裏の永山邸前で花見をした。
そこは、ワンコを連れての散歩道にもなっていた。

雨が降ると私の傘を持って迎えに来てくれた旦那。

この街のどこにいても旦那の姿があった。
なのに今は、どこにも旦那がいない。

写真の中にだけ
私の頭の中にだけしか・・いない。
だったら・・どこに私が住んでも同じじゃないのかな。

私が弱くて逃げているのかもしれないが
旦那が一番苦しかった時期を思い出すものは、見たくないのだ。
楽しそうにしていた元気だった頃の旦那だけを思い出したい。


どうか・・私のわがままを許して下さい・・。





決心

2017年06月30日 | 旦那の旅立ちからの日々
今日は、快晴でいよいよ夏がくるかと半袖の服をダンボールから出してみた。

先ほど、粉骨業者さんが来てくれて
旦那のお骨を預け明日には、粉骨にして届けてくれることになりました。
ネットで顔も見ない業者に依頼するのは嫌だったので
札幌市内で安く粉骨してくださるところを探して直接お願いしました。

桐の箱に入れてもらうことと少しだけキーホルダーに入れてもらうようにお願いしました。
「父さん、明日までちょっと寂しいけど我慢しようね」


ずっと迷っていました。

年末に引っ越してきたこの部屋。
旦那の為に買ったコタツ、空気清浄機、加湿器、厚手の絨毯。
通院するのに寒いだろうと買ったダウンコート。

凍った道、雪の中待ったバス亭。
帰り道に見上げた冬の空。
病院にいる旦那を思い泣きながら見た月。

その全てを思い出すこの土地で冬を迎えることができるだろうか・・と。

この家に越してきてからの旦那の病状は、みるみる悪くなったと思えてならない。
別のところに引越ししようか・・。
お金もかかることだから慎重に考えなくては・・。

どこに住もうか。
札幌のほうが仕事には恵まれている。

母親が入居してる特別養護老人施設のある実家のあった町に戻ろうか。
札幌育ちの旦那は、札幌を離れて寂しがるだろうか。

何が一番ベストなのか・・と考え続けていました。

一時は、札幌市内の別のところに引っ越して仕事をしていこうと思い
派遣会社の登録をして紹介された会社に面接にも数回行き
7月10日からの仕事を始めることにも内定しました。

ですが・・何度もバスに乗ったりJRで都心へ行き来する度バスやJRの中から見る景色。
旦那が放射線治療に通ったバス亭。
入院して旅立った病院。
一緒に散歩した道。
買い物したお店。

何を見ても旦那とのことを思い出すものばかりで涙を必死にこらえるのが精一杯の私です。
こんなんじゃ札幌のどこに住んだって思い出す。
この街には、旦那との27年間が詰まっているのだから・・
その中で一人暮らしていくのは辛すぎる・・と。

今日やっと決心がつきました。
ここを引き払い実家のあった町に暮らして
旦那の供養をしながら母親を少しでも近くで見守ろうと決めました。

目標や目的が決るとあとはそれに向かって進んでいくだけなので
気持ちがちょっとだけ晴れやかになった気分です。