河岸段丘の街、沼田城のジオラマではありません。

なんと、江戸時代の高崎市のジオラマです。

高崎市役所の中二階のロビーに展示されています。

 

『長野堰を語りつぐ会』によって製作され27日まで、展示されています。

高崎は台地で、水利に乏しかったと聞いてびっくりしました。

駅が下町にある沼田と違うのは、駅も街も台地にあること。

今まで意識せずにいましたが、

思えば豊かな烏川は、坂を下ったところを流れていました。

 

川のある我が街を君は好きと言う

胸がじんわり痺れ 泣きたし 奈織美

 

私は、高崎を川のある街として愛してきました。

まさか、もともとは からからの台地だったなどとは思ってもいなくて

故郷への認識を新たにしました。

 

思えば、幼い私の 川 は、長野堰でした。

夏には、ホタル狩り、魚釣りもしました。

 

城下町 高崎は、長野堰によって拓かれた町。

それを 忘れてはならないと開催された展示会。

外堀は埋められ道路となって今の高崎を支えています。

でも、そこに水を湛えた堀が今もあったら・・・・・

そんな城下町高崎を想いました・・・・

 

 

 

沼田の城堀川の風景が失われた時の寂しさを想い出しました。

城跡の公園に再建された鐘楼を想いました。

 

 

必死に守り続けられている牧水ゆかりの宿を想いました。

 

 

 

たくみの里のメインの道、

これも有志のたいへんな努力によって、

古い家並みが残されています。

大きなジオラマ通りのようです。

なぜ、そこに 人が訪ねてくるのか・・・・

 

昔の人の労苦によって切り拓かれ田畑になった森が

また、荒れた地になりそうと必死で守る人が居る。

城の再建を願うように、

いつか人が帰りたくなっても、

帰れない、思い出のこみちにしたくはない。

 

都会の炎天を歩くと、

思い出すブナの風の音。