名も知らず顔も知らねば死者幾人
今日は減ったと喜びて聞く
「コロナウィルスの数が幾人減った増えた」
毎日、その数に踊らされているけれど。
増えるのは、わかっていたことですよね。
でも、まだ怯えていない感じです。
誰が ? って、
誰というべきか。
社会に責任もって背負っている人というしかないけど。
全員ではないですね。
解っていて、気が狂いそうな人もいるでしょうから。
コロナが収まっても、
世の中は変わってしまうから・・・と、
やっと、言い出しても、
それは、心底感じていない言葉に感じるのはなぜ ?
今、掲示板の作業で
いろんな
俳句や短歌に出会っていて、
なんだか、感じ方が変わってきました。
たとえるなら、
言葉を感じるところが、
脳から心臓へ移行した感じ。
90歳の人が、社会と相和して生きたいと詠っている。
背筋を伸ばして生きようとする姿が浮かぶと、ああーと、なんともいえぬ思い。
今、大切なのは
素朴に、こんなことかもしれないと思いました。
数字でなく、人の顔のある死者数、
自分の家族だったらと想像する感性が
特に中枢の人に求められている。
それがあれば、動き出せる。
無我夢中に動かずにはいられない。
そんな風に思います。
どうか、走り出してください。
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