今日14日は、日本では成人の日ですね。ブログの読者さんやご子息が成人されたという方もいらっしゃるかもしれませんね。おめでとうございます!

成人の日や成人式なるものは、ベルギー含めヨーロッパには無い日本独自の慣習な訳ですが、こういう行事の様子を見ていると単純に良いなぁ、と思っている自分が居たりします。
 
20歳の時の僕(成人の日時点では19歳)は大学生でしたが、郷里の新潟から東京の大学に進学していて、住んでいたのは神奈川県川崎市。川崎市から成人式の案内はがき(封書)が届いたような記憶があります。
 
が、住んでいると言うだけで、同級生や友達も居ない川崎の地で成人式に出席しようとなどと言う気は更々無かったですね。で、出身の新潟ではどうか?と言いますと、こちらにもほとんど関心がありませんでした。
 
というのも、当時の僕は東京志向が強く(大学の所在地、及び川崎へ移る前後も東京在住)、ようやく新潟という“古い皮”を脱ぎ捨てることが出来た!というような心持ちでいたからでした。
 
豪雪地帯を抱える新潟の場合、ほぼ全県的に成人式は成人の日ではなく、ゴールデンウィークやお盆など時期をずらして開催されるので、希望すれば出席しやすい環境でもあったにも関わらずです。ですので、新潟の中学や高校時代の同級生達はその時期に帰省して参加していて、後日その様子を話に聞いたというような記憶も微かに残っています。
 
そんな同級生からは一様に「〇〇(僕の苗字)は新潟捨ててるからな!」みたいなことを言われましたが、実際当時の僕はそういう態度がアリアリだったのだと思います。でも、当時の僕はそんな周囲の言葉なんかは全く気にならなかったんですよ、本当に。
 
その昔、捨て去ったと思っていた郷里の風景
 
それから27年、僕は東京から更に遠いヨーロッパの地に、それこそ成人年齢と同じく20年以上住んでいる計算になります。
 
これは人によって違うと思いますが、僕の場合、こうした日本の恒例行事などに参加して来なかった、ある種の後悔のようなものを感じたりするのでした。
 
僕はゲイなので、自分の子供が成人式を迎えるという、親子で思い出共有などということは望めない訳ですが、同級生の中にはここ数年でそういう境遇の人達も現れはじめて来ていて、その度に親となった彼らや彼女達が自分の成人式のついて振り返って語っているような場面を見るにつけ、ちょっと羨ましいな、と思ってしまうのでした。

僕らの頃の成人式がどうだったのか、知る由もありませんが、「荒れる成人式」や出席率の低下などで、そもそも、成人式など必要なのか?という議論もあったりしますよね。
 
実際に成人式が無くても社会に大きな影響、変化はないとは思われますが、なんかこういう日本独自の行事というのは、意義とかどうこう抜きにしても存続していくのが善かろう、などと思ってしまう自分がいたりします。
 
昨年災害に見舞われた各地の新成人たちが自分の故郷の復興に関わりたいとか、地元を盛り立てたいとかっていう姿をニュースで見ましたが、最近の若者って偉いなぁ、頼もしいなぁ、と思ったりも。
 
若者世代の人口減少、地方衰退が叫ばれて久しいですが、僕の世代が成人を迎えた頃からバブルに踊らされていた社会(その後の崩壊期)、また東京一極集中の流れから何も価値観を転換できなかった僕ら世代(バブルのほうは崩壊後に大きな後遺症に苦しむことになった訳ですが…)。

これからも課題山積、複雑な時代が続きますが、新成人の皆さんには新しい発想と感性を持って、しなやかに社会のメインプレーヤーとして活躍していって欲しいものです。

 

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