まざまざと見せつけられた中国マネーの力 | 西方見聞録(旧パリレポート)

西方見聞録(旧パリレポート)

2015〜2020年パリ、2020年4月に本帰国しました。帰国後も”これは!”と思うものを探し、レポートしています!!

今年の3月末にフランスから帰国し、
今日までの約5か月間、

せっかく帰国したにも関わらず
長年会えなかった友人と
ほとんど会うことができなかったのですが、

先日、ようやく
旧知の友人と飲む約束をし、
共によく通っていた中華料理の店を
訪れるため、高田馬場へ。

訪れた店は、昭和27年創業、
68年もの歴史を有する高田馬場の
老舗中華料理店「一番飯店」
「一番飯店」。高田馬場の超有名店です

こちらの店主は、山本義家さん。
(写真は一番飯店のツイッターより拝借しました)

一番飯店は、
先代が総理官邸の御用達としても
腕をふるった職人で、

現店主の義家さんが
今でもその味を守りつつ、さらに
伝説の料理もメニューに加えた
和系中華のお店。

私は大学も高田馬場、
会社も高田馬場だったので、

この街に合計で15年近くはおり、

もちろん、高田馬場の店は、
あちこち行ったわけですが

この「一番飯店」が
個人的には一番の店だと
思っています。

その理由は、
とにかく美味しいから。

中華料理って、
色々な種類がありますよね。

中国人がやってる中華料理の店も
美味しい店はたくさんあります。

でも、こちらの「一番飯店」は
日本人の山本さんが料理を作ってるので
味はドンピシャで日本人好み。

個人的に一番好きなメニューは
「ニラ肉丼」。
(以下、料理写真は全てお店のHPより拝借)
最高の逸品です

これは、ほんとに食べ始めたら
一気にペロリしてしまう代物です。

そしてこれも大好き、「豚ロース生姜焼き」。
至高の逸品です

書いてて、よだれが出てきました、、、

まだまだあります、
一度食べたら中毒必至、「タンメン」。
ここの「タンメン」は病みつきになります

にんにくがたっぷり入ってるので
お好きな方は堪らないと思います。

そして、「エビマヨ」。
エビのプリプリ感と濃厚なソース、堪らんです

これは頼みたい、「たぬき冷奴」
豆腐と揚げ玉とたれの絶妙なマッチング

お酒のおつまみに欠かせない、
「とろけるチャーシュー」
文字通り「とろける」絶品です

そして、こちらのお店の伝説のメニューが
こちら。
「特性上海焼きそば」

こちらのメニューの生みの親は、
なんとあの手塚治虫大先生!!

今更、手塚治虫大先生のことを
説明するまでもないと思いますが、

一応説明しておきますと、
手塚治虫先生は、
日本漫画界の第一人者。

代表作は
・鉄腕アトム
・ジャングル大帝
・火の鳥
・ブラックジャック
・ブッダ
などなどなど、、、

もし、「名前だけは聞いたことあるけど
まだ作品を読んだことない、、、」

という方がいらっしゃいましたら、
ぜひ読んでみてください。

人生観が変わる作品ばかりです。

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話は戻って「一番飯店」ですが、
手塚治虫先生は、
この高田馬場にプロダクションを構えていて
(今でも高田馬場にあります)

生前、先生はこの「一番飯店」を
贔屓にしていて、

原稿執筆で忙しい時、
先生が「こんなの食べたい」と
考案しできたのが
この「特性上海焼きそば」。

つまりこちらは、
手塚治虫先生と一番飯店の
コラボ作品、と言うわけです。

これは食さないわけには
いかない逸品です。

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話は変わりますが、
この「一番飯店」に先日食べに行ったとき
久しぶりにお会いした店主の山本さんから
聞いた話が、

「一番飯店」のすぐ近くにある
高田馬場のシンボルの一つ
「シチズンプラザ」が近々閉鎖される、
ということ。

高田馬場で創業した会社として
名高い時計メーカーの「シチズン」。

現在「シチズン」の本社は
田無に移転しましたが、

その本社跡地には
「シチズンプラザ」という
ボウリング、アイススケートリンクなどの
複合施設が建ち、
地域のシンボルとなっていました。

特に「シチズンプラザ」の
スケートリンクは
金メダリストの羽生結弦選手も
滑ったことがある所。

高田馬場のシンボルが
一つなくなるのはとても寂しい、、、

三井不動産が
ここを管理しているようですが、
一体ここをどうするつもりだろう、、、

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先日、自転車で白金あたりを散策してたら、
ふと知らない道に入り込み

「いい雰囲気の所だなー」と
景色を楽しんでいると、
目に飛び込んできたのは、

高い石垣の塀が
遥か彼方まで続く巨大な敷地。

「何だ何だ?」と
正面入口に到達し、
「何の敷地だ!?」と
表札らしきものを探しますが、
どこにもない。

えー、何ここ!?!?

と、グーグルマップで見てみると、
(赤で囲った敷地)

地図に建物の名前が出てない!

で、よくよく調べてみると、
ここは時計メーカー「服部セイコー」の
創業者、服部金太郎氏の屋敷跡で、
「服部ハウス」と呼ばれているもの。

戦後はGHQに接収され
日本国憲法の草案が作られた場所
としても有名だそうです。

で、さらによくよく調べると、
今はもうこの土地は売り出されていて
購入したのは
シンガポールの会社。

え!? 外資!?

で、さらにさらに調べると、
このシンガポールの会社の株主は
中華系(華僑)。

つまり、中国マネーに買われたわけです。

まじかー、、、

大丈夫かな、こんな歴史的建造物が
中国人に買われて、、、

ちゃんと歴史的建造物として
保存してくれるのかな、、、

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と、「シチズンプラザ」が
閉鎖する話を聞いて、

この「服部ハウス」の一件を
思い出したわけです。

(偶然、両方とも時計メーカーの土地ですが)

「シチズンプラザ」の広大な土地、
やはり中国マネーに
買われてしまうのだろうか、、、

日本がどんどん中国人の土地になってしまう、、、

そうならない事を
祈るばかりです。

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