夫の実家の風呂は、
2000年代になってもシャワーのない風呂で、
しかも自動で沸かすタイプでもなかった。
そうなると、どういうことかというと、
夏場は天日に溜めた熱湯。
冬場は冷たい水道水だ。
同居して、優しかった舅が亡くなってから
風呂焚き担当は私になった。
夏場はまだいい。
天日の熱湯を水道水でぬるくするだけでいいから。
それでもまだ熱かった時は夫から
「もっと調節しろ!」と怒られたが。
地獄は冬だ。
ものすごく冷たい水道水を風呂に張って、
0度から適温の湯にしなくてはならない。
姑がどこからか手配して手に入れた大量の角材を
慣れない斧で割って薪状に小さくし、かまどに入れ、
チャッカマンで火をつける。
斧は小型だったが
長崎市というプチ都会で育った私は使い方など分からず
かじかんだ己の指に斧を滑らせ、何度も内出血を起こした。
そして、薪に火をつけることが、これもまた難しかった。
いきなり木に火をやっても消えるばかりで、
私は新聞紙や段ボールを下地にしてかまどを燃え盛らせ、
細い枝からくべ、だんだん太い薪を入れることを覚えた。
しかし姑がちょくちょく、
「あんまり新聞紙使わないで!」と言ってくるので、
私は必死に小銭を溜めて描いた漫画の原稿や
資料となる雑誌を、新聞紙の代わりに燃やした。
私の夢が灰になって空に昇っていく。
そんな感傷に浸る時間もあったが、なにしろ寒い。
冬場に雨の日も風の日も5時間は外に出て
かまどと薪の相手。
サッシもないので、雨の日は背中がびしょ濡れになった。
夫が夜勤で16時頃入って、ぬるかったら怒られ、
夕飯後姑と義弟の為に再度風呂焚き。
暗いからどの枝が燃えやすいかよく分からない。
誤った斧で何度も打ち間違える。
もたもたしていると姑から嫌味を言われる。
家族の最後に、ようやく私と美羽が入る頃には、
湯船の湯は冷たく、私の膝ほどまでもなく、
私は美羽が風邪を引かないように抱きしめた。
私と美羽の為の水道水の追加と追い炊きは、許されていなかった。
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きっと
並行世界の私の誰かは
今も風呂焚きを続けているのだろう。