戦国時代の雄織田信長公が旗印に使用した古銭「永楽通宝」とはどんなものなのか?当時の価値や今の価格はどうなのか?

今回は2020年大河ドラマ「麒麟が来る」でも取り上げられ、歴史番組でも常連の織田信長の旗の印についての疑問を調べて見ました!

 

永楽通宝と織田信長の旗

引用:Wikipedia

当時天下統一を目指していた戦国大名織田信長は7つの家紋を使っていました。

参考記事

織田信長の人生とはどんなものだったのか?詳しく知りたい方はこちらを

織田信長について性格や名言や波乱の人生総まとめ!

 

どんな家紋があったのかを少し見てみましょう。

織田家ははじめ朝倉家に仕えていたのでその時拝領した一番有名な「木瓜(もっこう)」、平氏(源氏の次に天下を取るのは平氏という思想から)の家紋の「揚羽蝶(あげはちょう)」、足利将軍から拝領した「五三桐(ごさんのきり)」「二引両(にひきりょう)」、皇室から拝領した「十六葉菊(じゅうろくようぎく)」、禅の世界観でもある「」の紋章、そして中国から輸入されたお金「永楽通宝」です。

その中で銭の「永楽通宝」を旗印としていたことはなにか理由があるのでしょうか?

これは信長の意志が込められていたのですね。

「楽市楽座」といった城下町経済政策や、南蛮との貿易を推し進めた信長としては、経済が回ることが国力が繁栄することに直結することを分かっていて、その象徴として「永楽通宝」をあえて旗印に採用したのでしょう。

嫡男信忠も同じく「永楽通宝」を旗印にしていましたので、早く戦争を終わらせて、経済の発展を願った信長の想いの強さが見て取れるようです。

普通はお金を旗印にするってなかなか思いつかないものですが、とにかく新しい時代には経済が必要だと考えた信長のめっちゃ強い思いですね!

常に旗印を見て経済が活発な国にすべきだと心を決めていたのでしょう!

参考記事

信長は様々な新しい政策を取り入れていった優れた政治家だと思います!

織田信長のした仕事とは?「楽市楽座」他5選!新しい日本へ!

 

この永楽通宝は室町時代から江戸時代初期にかけて貨幣の中心として流通しましたが、織田信長の力も貢献したのかもしれませんね!いや、そのおかげだと思います。その意志が豊臣秀吉に、そして徳川家康に引き継がれていくのですね!

★家康によって貨幣の広まる流れを見れるドラマはこちら→NHK新春ドラマ「家康、江戸を建てる」名言と感想!

 

他にもお金を旗印にした武将がいました。

元武田家家臣で信濃(長野)の豪族「真田」家です。

もし興味がある方はこちらも御覧くださいね。

参考記事

旗印に込められた想いは人それぞれですが、決意が見て取れます!

三途の川の渡し賃は真田家の家紋の六文銭!現代ではいくら?

 

 

ちなみに真田家の本城となった上田城の瓦に永楽通宝の紋が入っているとのこと!

真田家の後を引き継いだ元織田家の家臣仙石秀久を父に持つ仙石忠政によるものでしょう。

さぞ追い出された形になった真田は悔しがったでしょうけどね!

武田家を崇拝する私にとっては真田びいきにどうしてもなってしまいます・・。

永楽通宝の当時の価値とは?

織田信長が生きて旗印を活用していた頃の「永楽通宝」の価値はどれだけだったのでしょう?

「永楽通宝」一枚を「一銭」とか「一文」と言います。

参考記事

当時の貨幣の価値を知るってなかなかおもしろいです!

→一銭・一文いくら?戦国時代の現在物価を表で調べてみた!

 

 

当時は偽物も多く、貨幣が古くなって使い物にならなくなった「びた銭」などもあり、価値がばらついていたのではっきりと決めることは出来ないのですが、お米の価値から換算していくと「永楽通宝」一枚を「50円」と換算することが出来ます。

資料によって違いがありますし、一文が100円という説も多いようですが、ここは「50円」で統一してみます。

ちなみに永楽通宝一枚で銭湯に入れたようです。(銭湯の語源は銭で入れるお湯ってところから来ているようです)

 

今の価格は?種類は?

次に今の価格を見てみましょうか。

市場に多く出回っていた輸入物は残念ながら価値が低いです。

大体100円から良くて500円程度だそうです。

しかしながら価値が高い永楽通宝もあります。

それは豊臣秀吉の時代には国内で作られていたものです。

市場に出回っていた輸入物は「銅」で作られていましたが、豊臣秀吉は銅に加え金と銀の3種類の永楽通宝を作らせていました。

この金と銀が価値があるのです。

なぜかと言いますと、数が多く出回っていないからですね。

 

 

ちなみに買取相場の価格は「金」が100万円以上!!!

「銀」3万~30万円ほど!

もし永楽通宝の金と銀をお持ちでしたら、一度買取業者に見積もってもらうと高く売れるかもしれませんね。

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他にも、永楽通宝の字体が通常と違う物(ノム楽、垂足宝、流永、曲永、中正)やエラーコイン(規格外のもの)などは、例え中国からの輸入物だとしても1万円とかの価値がつくことがあるようですので、もしお持ちの方はチャンスですね!

 

永楽通宝を深堀り!永楽通宝とは?

引用:Wikipedia

そもそも永楽通宝は中国の明の時代に作られた銅製の銭です。

大きさは3.8グラム位で、幅が24.5ミリほど。

読み方は「えいらくつうほう」。

語源は文字通り当時の明の皇帝「永楽帝」にちなんでこの名前になりました。

ですが明ではあまり流通しなかったようです。

なぜなら前から使用していた実績のあるお金(宋銭や開元通宝)の流通が強かったのですね。

中国国内で流通しなかったので、貿易相手である日本に大量に流れてきたのです。(輸出専門に作られたとも言われています)

日本は当時お金を作る役所や技術がちょうど廃れており、とてもタイミング的にはよく、「余った明のお金を輸入しちゃおう!」って運びですね。

ただ日本では始め真新しい永楽通宝を戸惑って使うことを嫌がったそうですが、大名たちの命令により流通が広まっていくことになります。

そしてまだ作られたばかりで新しく、良質だった永楽通宝は、その後も江戸時代に至るまで長く日本に流通することになるのです。

小田原の北条氏は今まで流通していた中国の銭(宋銭)3枚に対して永楽通宝1枚と換算していますからそれを見てもいかに価値が高いかわかりますね。

この時期の日本は室町時代で明と日本の貿易がかなり儲かったので、それも流入に拍車をかけました。

ちなみに明で250文で仕入れた糸が、日本では5000文で売れたそうです。

約20倍!!!

利益が手数料などを差っ引いても50%から30%程は儲かったようですので盛んに行われ、貨幣の需要が一段と高まっていったわけです。

儲かるってすごいパワーを人間に与えるんですよね!欲望パワー!!

 

永楽通宝関連の商品!織田信長の意志を現在に伝えるお店

 

 

その名も「永楽屋」!

現在は絹布商として、風呂敷や手ぬぐいなどを手掛けていますが、創業以前には織田信長の御用商人(大名からの需要に応じた物質の調達を担う商人)だったそうです。

その後活躍を認められ、「永楽屋」の屋号を織田信長から拝領し、江戸時代になって大石内蔵助と仲の良かった一世が創業し日本最古の絹布商として京都にて現在も絶賛営業中です。

とっても洗練されたデザインもなかなかのものです!

使うのがためらっちゃいそうではありますが、歴史を感じられる意味でとっても嬉しくなっちゃいます。

そんな「永楽屋」の公式ホームページはこちらです↓

http://eirakuya.jp/

まとめ

織田信長にまつわる古銭「永楽通宝」についていろんな角度から見てみました。

旗印にまで使用して経済の発展を祈念していたのだろう織田信長の気持ちを慮ると胸がいっぱいになります。

今現在はこんなに経済が発展していますが、過去の偉人たちの積み重ねが今の発展を支えているんだなあって思うとこれからも頑張ろう!って元気をもらえます!

家の中から永楽通宝が出てきたら売ってしまうのも良いですが、その前に思いを馳せてみるのも良いですね!!