前回ブログを書いてから1週間。その間に母が亡くなりました。

 

アメリカに戻ったばっかりだったのに、またトンボ返りで日本に帰国しています。アメリカ在住という立場なので、ある程度覚悟はしていましたが、年2回は長期で日本に帰国していたので、どこかで私は最期は看取れるだろうと思っていましたが、実際には全く間に合いませんでした。

 

亡くなる数日前に急性心不全をおこし、その時点で帰国すれば良かったのですが、体調は悪かったものの回復の兆しがあり、今後の栄養摂取を中心静脈栄養でも摂れるよう処置をしてもらってたりしていたので、まさかこの数日でそんな急に亡くなるとは思ってもいませんでした。

 

亡くなる日の朝から血圧がガクッと下がったらしく、その時点でも主治医とは数時間様子を見て、帰国するかどうか決めようと話しをしていました。・・・が、その数時間であれよあれよと急変し、あっという間に逝ってしまいました。

 

父は親戚とちょうどお墓参りに出かけており、病院から遠方にいて、さらにお盆で渋滞にあい、長時間かけてやっと病院にたどり着いた時はもう息を引き取る瞬間で、声をかけて体を揺さぶって最期だったようです。

 

私はその日のうちになんとか翌朝の飛行機を手配して帰国しました。家族全員の飛行機を手配するのも手こずり、こんな時に限って航空会社のミスなども重なり、結局チケットが確実に手に入ったのは結局夜中になりました。

 

関空に着いてから直接安置所に向かい母と対面しました。想像以上に穏やかな顔で、どこか笑っているような表情で、ほんとにまだ眠っているだけのようで信じられませんでしたが、頬に触れるともう冷たく、その冷ややかな感触でもう死んでしまったんだと実感しました。

 

後2週間長く日本に居れば母の最期を看取れたのに・・・、心不全を起こした時点で帰国すれば間に合ったのに・・・と思うと悔しくて悔しくて仕方がありません。

 

この夏は以前より少し調子が良くなってきており、「私が来たよ~」と声をかけると、「ほんま~」と初めて声を出して返事をし、「なんや~、全部聞こえてたんや~」と言うと、「ふん」とうなずいたことがあったので、昨年秋からほとんど口もきけてなかったので、これからもう少し全身状態も良くなってくるかと予測した矢先でした。しかし、思った以上に全身は悪化していたようでした。

 

お通夜と告別式は、時差ボケで心身共に最悪の状態でバタバタと終わってしまいました。親戚や知人も少ないので、こじんまりとした葬儀でしたが、祭壇はお花いっぱいに飾ってやることができ、母にふさわしくとても華やかな雰囲気で見送ってやることができました。

 

入院生活が長かったので、実家で遺品を片付けながらもまだ病院にいるような感覚で全く実感がありません。今後は父のことが心配ですが、渡米までは側にいてできることはやってやりたいと思っています。母の死で色んな思いがありますが、ここにまだ書くことはできないので、しばらくまたブログはお休みすると思います。次回はまたアメリカからアロマのことなど、楽しいことを書けたらなあとは思っています。