2020年11月13日

「基地の街」にロックは流れていたのだな。

探偵団特派員より連絡が届いた。


「朗報です。

基地の街にロックは流れて~嘉手納とコザの戦後史~

再放送:NHK Eテレ 

2020年11月12日(木) 午前0:00〜午前1:00(60分)」


11月11日(水)夜24:00~25:00

と、書き換えて、やっと見ることができたw


1時間、まんじりともせずに見た。

待った甲斐があった。


時代は地上戦から朝鮮戦争、そしてベトナム戦争へ、

戦争景気と基地被害の双方に目配りしながら、

視点は、「コザ暴動」へと収斂されてゆく。


ジャズのプレーヤーと、ジャズバーの元オーナー、

主に2人の視点から交互に語られるコザの現代史。

そこに、基地で働きながら反対闘争を貫いた女性など、

さまざまな人たちの人生が織り込まれつつ進行する。


何度も、「怒り」という言葉がくり返された。

「人の怒りじゃなく、自分の怒りになる。」

「それはやっぱり、怒りですよ。」

6,7回も「怒り」が語られただろうか。


その何億倍、何兆倍の「怒り」がくり返された。

そしてそれらの多くは報われることがなかった。

その一方に、一晩の稼ぎで家が建つほどの特需、

明日の命もわからぬ兵士たちの消費が生み出した、

ベトナム戦争時の嵐のような戦争景気があった。

それが沖縄の、とりわけ基地周辺の戦後史。

いや、「戦後史の一面」と言うべきだろう。


もちろん、基地は沖縄だけに、

コザだけにあるわけではない。

しかし、暴動はコザで起きた。


1時間という短いドキュメンタリーだが、

暴動に追い詰められてゆくコザの人々の、

「気持ち」が、「怒り」が、入り込んできた。


声高に何かを訴えるという番組ではなく、

静かな語りと実写が交互にくりかえされる、

いわば、それだけのドキュメンタリーだが、

これまで読んだ、どの本やどの文章よりも、

コザ暴動が沖縄で占める位置を理解した。

歴史に占める価値と、その意味を理解した。

もちろん私の不勉強という理由が大きいが、

人の言葉に秘められた「力」ゆえであろう。


「コザ暴動」から50年目の、

12月20日が近づいてくる。


「基地の街」にロックは流れていたのだな。
(2019.6.22 コザ  いつできたのだろう?この時計台。思わず70年代のテイストを嗅ぎつけてしまう。)


※「コザ暴動」という表記を躊躇することも多かったのですが、

ほかならぬコザのヒストリートが「コザ騒動」ではなく「暴動」、

今回のドキュメンタリーも「コザ暴動」と表記していたので、

それらにならって、「コザ暴動」と表記しています。



同じカテゴリー(沖縄に寄せて)の記事

お返事が遅くなる場合があります。あしからず。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。