nainwanwan
こういう日なので、20年前の同じ日、実際に体験したこと、テネシーの田舎でも現実に起こったことを感じたままに書いてみますね。

世界平和のためだけに音楽があるのではない、という現実を突きつけられたショックみたいなのもありました。

 差別、格差、環境問題、ラブ&ピース・世界平和と音楽

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まず、音楽の平和的利用、というイメージ。音楽が育った世界の背景のひとつでもあります。

昔のフォーク・ムーブメントやウッドストックの歴史を見ると一目瞭然でしょうか。


 ●東西冷戦
 ●ベトナム戦争

日本だと
 ●安保闘争、学生運動
 ●その他社会不安など

若者が何かと矢面に立たされる背景もあったと思います。スポンサー企業などに対する配慮もあったのか、メディアにはあまり流されることはなかったのですが、日本では「アングラフォーク」などの名前で知られるように、隠れた名曲もたくさん生まれた時代でした。

この時代をリアルに体験した世代、大きな影響を受けた世代は、今も政治的問題、社会問題を音楽に込めてメッセージを発信し続けています。

思想についての論議はともあれ、イデオロギーの表現、社会風刺に音楽が使われ続けた歴史は周知の通りかと思います。

ある意味で、この逆パターンを目の当たりにした経験が「9.11」。
音楽の政略的利用。

 9.11 同時多発テロ事件とアメリカ音楽

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2001年、9月11日、各地で起こった同時多発テロ事件。ニューヨークでは世界貿易センタービルに飛行機が2機続けて衝突するというショッキングなもの。この時私が住んでいたのはテネシー州ナッシュビル。

当初、ハイジャックされた飛行機は11機の可能性などの情報(後に情報の錯綜と判明。実際は4機)もあり、事件発生1時間以内の時点で、学校や会社からは帰宅指示が出ます。この危機管理対策というか、迅速すぎる対応に驚かされました。

また、街の中心部やシンボルとなるような建物、人の集まるショッピングモール、軍に関係する施設などには近づかないように呼びかけがありました。テロ事件のあった場所からはるか離れたテネシー州でも事件当日はこんな状況でした。

事件の翌日以降、周囲の状況が刻々と変わり、リアルに戦争が起こっていく過程を感じた時期でもありました。

軍役経験のあるミュージシャンたちは口々に、

「呼ばれたら俺は喜んで戦地へ行くぜ!」

そんな招集など起こりませんようにと、ただただ祈っていました。

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「友達が戦場へ行くとかありえないでしょ!」




音楽の話にスポットを当てていくと、テレビやラジオなどで露出が増えたのが

・愛するアメリカ、故郷を想う曲
・軍人、消防士など、ある特定の職業を称える歌 などなど

「アメリカ、故郷を想う曲」に関しては、ブルーグラス、カントリーはジャンル的に、そもそもこのテーマの曲が多いですよね。

いわゆる、昔から言われている

「有事にカントリーミュージックが流行る」法則

が見事に発動される訳です。
いわゆる愛国歌がどんどん流された印象です。

崩れ落ちるビル、泣き叫ぶ人々、救助活動に当たる消防士、必死に人々を誘導する警官、そして軍隊。それらの映像に音楽が抒情的に、ドラマチックに、時には勇ましく重ねられます。

人々の戦うことを良しとするイメージの置き換え、操作している雰囲気がありました。

困難に立ち向かう人々
様々な苦痛と戦う人々
こんな悲劇を起こしたテロを許してはならない
自由のために戦おう
我々は屈してはならない

別に映像の中で必ずしも、これを言っている訳でも、テロップが出る訳ではないですが、この流れを短い映像でもインプットできるように詰め込んでる感はありました。それが、CMだったり、ミュージックビデオに挿し込まれたり、映画などになったり。

 さいごに


アメリカ中で

「戦え!テロは許さない!」

と世論が向かう中で、平和的解決を訴えたミュージシャンも少なからず存在はしました。

のちにステージで当時のブッシュ大統領を批判したある人気グループは急進派の増えていく世間に叩かれ、大きな論争になったりもしました。

ともあれ、国威発揚のために音楽が利用され、民意が動かされて、戦うことそのものが是となり、戦争は始まっていくのだなと、感じたのを覚えています。

flatmandolinman
「のんびり旅して、世界の文化と触れ合って、世界中のローカルなミュージシャンたちとジャムしたいですね。」