日々是好舌

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南麼(なうまく)坂下延命地蔵堂

2019年08月03日 12時49分50秒 | 日記

坂下延命地蔵堂(さかしたえんめいじぞうどう)

建立年代、建立者は不明。元禄13年(1700年)に、岡部宿の伊藤七郎右衛門、平井喜兵衛、中野陣右衛門の3人が発願して地蔵堂を再建し、堂内の仏具をそろえ鴻鐘を新たに鋳して鐘楼も建立した。霊験あらたかと村人や近隣の人々に信仰され、その霊験あらたかさを示す二つの伝説「鼻取地蔵」「稲刈地蔵」が残されている。 堂内には地蔵菩薩像が安置されており、この地蔵尊は宇津ノ谷峠を越えようとする旅人の安全を守り、また、堂前の木陰は旅人の疲れを癒した。今でも8月23、24日の大縁日には、串に差した十団子をお供えして供養をしている。また、新盆供養のために遠方からも参拝客が訪れる。


(稲刈地蔵の話)

岡部から丸子に通じる宇津ノ谷の手前の坂下に地蔵堂がある。かつての東海道は難所だったので、旅行く人の守り本尊(ほんぞん)として信仰が厚かった。里人の話によれば、本尊は聖徳太子の作で、霊験(れいげん)あらたかとされている。 いつのころかはっきりしないが、榛原地方に一人のはたらき者の青年があった。よく親に孝行をつくし、仕事もまじめにいっしょうけんめいにやったので、村人はこの青年を「りっぱな者だ。感心だ。」とほめていた。 その年の秋の稲刈(いねか)りの最中のこと、たまたまお伊勢(いせ)まいりの話が出て、仲間からぜひ行こうと誘われた。日頃から信仰の厚かったこの青年も、一度はお伊勢まいりをしたいと思っていたので心はあせった。数反歩(たんぶ)の刈(か)り取りをしなければならない身をなげいて、同行の人々に出かけるについての悩みを語った。広い田の面を見てなげく青年の気持はまことにあわれであった。 夜もねむれぬまま青年は朝早くかまを手に田に出かけた。出かけるまでに刈れるだけ刈ろうとしたのである。 出かけてみて驚いた。田を見れば不思議なこともあるもので、一夜のうちに全部が刈りとられているのである。わが身をうたがい、目をこすり、目をこらして見なおした。たしかに自分の田である。誰が刈りとったのか、きちんと刈ってきちんと干してある。あまりのことに驚きながら家に帰れば出発のまぎわである。あまりの出来事に驚き、それでも大急ぎで準備をしてお伊勢まいりの旅に立った。 道中、何のさわりもなく、無事におまいりもすませた。同行の中に一人だけ府中(ふちゅう)(今の静岡市)から来たという若者があった。道々、旅は道づれとこの若者と親しくなったが、その友人の親切は人並みではなく、はじめて旅をした青年に何くれとなく心を配ってくれた。 青年は不思議な親切をなぞに思いながら、無事年末のお伊勢まいりの夢をはたして帰路についた。が、数日の同行の縁に別れがたい思いから、この若者を府中の途中まで送っていこうとして、旅の話をあれこれとしながら歩いて宇津ノ谷峠の坂下までたどりついた。その時その若者は坂下のお堂の中へ入っていった。青年は「何をしに入ったのだろう」とお堂の中へ後を追ったが、煙のごとく消えて若者の姿はなかった。 あまりのことに驚いて今までのことを思いかえした。出発前の稲刈りのこと、お伊勢まいりの道中の親切などから、青年は、はたと気づいた。「この若者はお地蔵様の尊(とうと)いお姿の変わり」だったのである。 青年はこの事があった後、なおも一層仕事に精を出した。話を伝え聞いたこの地方の村人もお地蔵まいりを熱心にし、願掛(がんか)けをしたり、いろいろな奉納をしたりした。お堂の壁に農器具のかまやくわが掛けてあるのは、農事の豊作祈願の名残りだといわれる。また、このお地蔵様は「鼻取り地蔵」とも呼ばれて、別の言い伝えも残されている。





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