謝らせるについて考える | 中学理科教師のつぶやき

中学理科教師のつぶやき

中学校理科教師として25年。ひとつの意見として、ここに私の日々考えたことを記録していきます。同業の方、現役生徒、現役親御さんとのネットでの交流もできるといいですね。

先日

日本アドラー心理学会の子育てプログラムパセージの

フォローアップ会に参加しました。

 

そちらは、現役の子育てママさんが集まって

子育ての新鮮な事例について検討するので

大変勉強になります。

その中で

「謝らせる」ことについて考えちゃったので

忘れないうちに。

(なお、アドラー心理学とパセージの中では「謝らせる」は無いものと心得ておりますし、以下記事中の謝るは私自身の考えでアドラー心理学とは別ものですのでご注意ください^-^)

 



 

子どもが不適切な行動をとると

親は、後始末として謝ることを子どもに教えます。

不適切な行動の確認。

反省。

原状回復。

謝罪。

反省、原状回復、謝罪の順番は

入れ替わることもありますが

不適切な行動の後の指導としては

普通はセットになっているんじゃないかな。

ときどき

 

謝罪を忘れることもあります。

 

 

そうすると

 

中途半端な指導で指導し切れていない

謝ることを教えられない子どもは気の毒

謝ることで、けじめをつけることを教えるべきだった

 

などという後悔する気持ちがわいてきます。

学校で生徒を指導するときも

失敗にしろ悪さにしろ、ものを壊したり

人を傷つけてしまったときは

反省の後、迷惑をかけた人に謝ること

教えなくっちゃなあと考えます。

でも

この「謝る」ことで、何を教えたいのかと深掘りしてみると

意外と形式主義に陥っているんじゃないかなと。

確かに、生徒に謝らせる指導をしたときに

なんかこれ謝るのと違うんじゃないかなと

思うことがありました。

小学校だと5年生くらいまでは

ケンカした後、仲直りするのに

儀式として謝りあって握手してといった手続きを

教えるのが一般的です。

 

こうすることで

モヤモヤした気持ちにけじめをつけたり

その後を互いに安心して過ごすためです。

でも

 

小学生も6年生くらいになると

だんだんこの儀式の効果が薄れてきます。

 

心の底から

 

感情的になりすぎたな

この子とこれからも仲良くやっていきたいな

 

という思いがあれば

一連の儀式はさっぱりしたものになるでしょう。

 

しかし

 

そういう気持ちになれないうちに

手打ちをさせられると

納得いかない気持ちがどこまでも残るというか

納得できないことが1つ増えるような気がします。




小学6年生くらいからそうなんですから

中学生に関してはなおさら。

 

私は、現職の最後の方は

何でもかんでも謝らせるのをやめていました。

「謝らなくてもいいよ」
「謝ってほしい?」

そういう儀式よりも

 

不適切な行動を是正する。

何か損害を与えたなら責任を持って

可能な限り原状復帰をする。

 

そちらの方を優先させたのです。

その代わり

謝りたいだろうなあと思う生徒には

謝り方を指導しました(笑)

何に謝るのか明確にする。
あれもこれもと謝らない。
相手に許してもらおうと思わない。
文句を言いながら謝らない。
これは形だけで、その後の行動が大事だと自覚する。


■何に謝るのか明確にする。
 

謝る対象は、ほとんど人の気持ちを傷つけたことです。
Aくんのものを壊してAくんを怒らせた。
Bくんをいじめて、Bくんに悲しい思いをさせた。
急に大きな声を出してCさんに怖い思いをさせた。
宿題をやってこなくて

先生の期待を裏切り悲しい思いをさせた。
いろいろあるけど、謝る対象をはっきりさせておくことは大事。

 

逆に相手の気持ちを傷つけても良いと思っている人は

謝っても意味がありません。

私なら近くに寄ってほしくないです。
 

傷つけるつもりがなかったのに

何かの理由で傷つけてしまって

悪いことしたなあ

これから、もう傷つけるつもりはないよ。

 

って人は、謝ることで謝意を表現することができます。

■あれもこれもと謝らない。
 

1回に謝るのは、1つのことに絞った方が良い。

 

一度にたくさんのことを謝られると

相手はそんなにいっぱい悪いことしてたのかと

許す気持ちがなくなる。

 

いろいろやらかしていても

共通する1つにまとめて1つだけ謝る。

■文句を言いながら謝らない。


ときどき、つまらない言い訳をしながら謝る人がいます。

条件をつけたり、相手の非を指摘しながら謝ったりなんかして。

謝ってんのか非難してんのかわかんない。

 

そのくらいなら、謝らない方が人間関係は良くなりますね。

謝るときは、徹頭徹尾平謝りに謝るのです。

 

相手の非を指摘したかったり

文句を言いたいときは

時と場所を変えてからにしましょう。

■相手に許してもらおうと思わない。
 

謝ったら許してもらえるというのは

小さい子どもに適用されるルールです。

 

謝ったくらいで許されると思ったら

そりゃ大間違いでしょう。

 

許してもらうために謝るのでなく

謝るために謝るのです。

そうすると

もしかしたら許してもらえるかもしれないのです。

■その後の行動が大事だと自覚する。
 

どんなに言葉をつくしても

行動が伴わなければ意味がありません。

謝りながらも行いで示すという決意を固めましょう。

 

どうか今ここで許さないで下さい。ということです。





ここまでやって許されなかったり

罪を償えないときもあります。

 

許すか許さないかは

被害を被った相手方の事情です。
 

裏を返せば、謝る方の責任じゃないのです。

謝る方はあくまでも謝ることに責任を持ち

謝られる方も、許す、許さないの判断に責任を持つのです。

 

これは良い悪い、正しい間違っているという問題ではないのです。気が済むかどうか。矜持の問題です。

ですから、許されなくても私には何の問題もない。

ここまで確認しておくことを指導しました。

 

 

 

でも

 

考えてみると

悪いことをしておいて許して下さいとは

図々しい話ですよね。

謝るときのセリフに
 

ごめんなさい。
すみません。
もうしわけない。
ゆるしてください。

 

など、いろいろ種類がありますが
どれを選びますか?

私は、申し訳ない。申し訳ありません。を選ぶかな。


許して下さい。
御免なさい。

は、許しを請う言葉ですね。


許しを請うとはへりくだった感じがしますが
よくよく考えると命令形なんですよね。

ここまで反省しているんだから許してよ。
あら、御免なさい。(あはは、許しなさい)ってな感じ。
私だと相手によっては状況によっては

「許さねーよ」「赦免しねえよ」と
言ってしまいそう。

すみません は
このままでは済みませんのでなんとかしたい。
と全面的に自分の非を認め

挽回の決意をにじませる表現。

もうしわけない は
申し訳などいたしません。

この首を差し出しますのでお好きなようにご処分下さい。と
命まで投げ出す表現です。

と 思っているのですが、間違ってますか(笑)

てなことで
話があちこち行きましたが
不適切な行動の後始末として
謝ることを教えたかったら

■謝罪とは

相手の気持ちを静めるための

儀式に過ぎないということ
■謝るにはいくつかのポイントがあること


この2つを忘れないようにしたいかな。
 

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